| <江戸城続編> |
| 本丸跡〜平川門〜汐見坂〜梅林坂〜二の丸庭園を巡る 【本丸跡】 皇居東御苑[本丸地区] |
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![]() (左右の平面図は現地説明板より) |
![]() 天守台から本丸御殿跡を眺める。手前から奥にむかって大奥、中奥、表向。右奥に富士見櫓が位置する。 |
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![]() 富士見櫓 本丸側から見た富士見櫓。富士見櫓は、現存する江戸城の櫓のうち唯一の三重櫓です。「櫓」は、城の隅など重要箇所に造られる防御施設の役割をもった建物です。かつて江戸城には多くの櫓がありましたが、現存する櫓は、富士見櫓、伏見櫓、巽櫓の3つとなりました。明暦の大火(1657年)で焼失しましたが、その後間もなく再建され、天守の代用としても使われていました。将軍が富士山や両国の花火、品川の海を眺めたといわれています。 |
![]() 松の大廊下跡 この場所には「松の大廊下」がありました。襖戸に松と千鳥が描かれた長い畳敷きの廊下で、赤穂浪士討ち入りにつながったことで知られる、浅野内匠頭長矩の吉良上野介義央への刃傷事件(元禄14年(1701年))があった場所です。 |
![]() 富士見多聞 富士見多聞は、江戸城本丸の西縁の中央に建てられていた、長屋型の防御施設です。正確な建築年代は不明ですが、万治2年(1659)頃の可能性もあります。かつては、本丸の縁辺各所に多聞がありましたが、今は、富士見多聞のみが残っています。 |
![]() 富士見多聞の内部 昭和43年(1968)に皇居東御苑を公開するのに先立って、昭和42年から昭和43年にかけて、解体修理が行われました。 |
![]() 石室 この場所は江戸城本丸御殿の大奥の脇に当たります。石室(いしむろ)の用途は諸説ありますが、火事など非常の際に、大奥用の調度などを避難させた場所と考えられています。 |
![]() 大奥跡 |
![]() 江戸城天守模型 本丸休憩所附属施設にて公開 【天守台】 |
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![]() 天守台 徳川家康の入城以来、江戸城では、慶長度天守(1607年)、元和度天守(1623年)、寛永度天守(1638年)と3度、天守が建てられました。最も規模が大きかった寛永度天守は、地上からの高さが約58mあったといわれています。 この天守台は、寛永度天守が明暦の大火(1657年)により焼失した後、天守再建を目指して万治元年(1659年)に築かれたものですが、幕府内で、天守は不要との結論が下され、この天守台には天守が建てられないままになりました。 江戸時代の江戸城は、天守があった50年間の後、天守がない状態が210年間続いたことになります。 |
![]() 切込接の天守台石垣(算木積部分) 石材を徹底的に加工し、石材間の隙間をなくした石垣。 |
![]() 天守台(北東面) 角は、大きな石材で組まれた「算木積み」。 |
![]() 北桔橋(きたはねばし)門側から見た天守台 |
【平川門】![]() (現地説明板より) |
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![]() 平川門 大手門が正門であるのに対して、この門は、御殿に勤めていた奥女中などの通用門として使用されていました。大手門と同様、厳重な防御の構造になっています。 平川門は、左右に二つの高麗門がある珍しい構造になっており、門前には擬宝珠のある木橋が復元されている。 |
![]() 高麗門 櫓門を出て右に位置するこの門は、通常の通行に使われていた。 |
![]() 高麗門 櫓門を出て左の石段のあるこの門は、罪人や病人をここより城外へ出したことから、俗に「不浄門」と称した。 |
![]() 櫓門 通常の出入りに使われていた高麗門側から見た櫓門。右側に不浄門がある。 |
![]() ![]() ![]() (左)汐見坂〜江戸城築城の頃は、この坂から海を眺めることができたことからこの名がついた。本丸と二の丸をつないだ坂。 (中)白鳥濠 (右)梅林坂〜最初に城を築いた太田道灌がこのあたりに数百株の梅を植えたことからこの名がついたといわれている。 |
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![]() ![]() ![]() (左)(中)二の丸庭園 (右)北桔橋門〜この門を出て北の丸公園に行きます。 |
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![]() ![]() ![]() (左)北桔橋門(城外側)〜門の奥に見える石垣は天守台です。 (中)北桔橋門から見た乾濠 (右)北の丸公園 |
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| 北の丸公園の清水門、田安門を巡ります 北の丸公園案内図 ![]() (現地説明板より。画像は一部加工) |
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| 重要文化財 旧江戸城 清水門 (昭和36年6月7日指定) |
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![]() 清水門(高麗門と櫓門) 清水門は、北の丸北東部に位置する枡形門であり、正面の高麗門と、その右手奥の櫓門からなる。門の創建年代は明らかではないが、現存の門は高麗門の扉釣金具に残る刻銘から万治元年(1658)に建てられたものであると考えられている。しかし、櫓門の上部は、時期不明ながら撤去されていたものを昭和36〜41年度の修理で復旧整備したものである 清水門は、建立年代の判明する江戸城の遺構として高い価値を有しており、門から北の丸に至る石段とともに江戸時代の状況を色濃く残している。 |
![]() 高麗門(城内側) |
![]() 櫓門 |
![]() 雁木坂と櫓門(画像は一部加工) 石段は雁木坂と呼ばれ、往時のまま残る。 |
| 重要文化財 旧江戸城 田安門 (昭和36年6月7日指定) |
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![]() 千鳥ヶ淵と田安門 |
![]() 田安門 田安門は、北の丸北部に位置する枡形門であり、正面の高麗門と、その右手奥の櫓門からなる。門の創建年代は明らかではないが、現在の門は高麗門の扉釣金具に残る刻銘から寛永13年に建てられたものであると考えられている。しかし、櫓門の上部は破損のため大正末期から昭和初期にかけて撤去されていたものを、昭和36〜41年度の修理で復旧整備したものである。 田安門は、江戸城の総構完成当時に遡る現存唯一の建物であり、高い価値を有している。 |
![]() 高麗門(外側) 画像は一部加工しています。 |
![]() 高麗門(内側) |
![]() 櫓門(高麗門側) 画像は一部加工しています。 |
![]() 櫓門(城内側) 前のページに戻る 地域別訪問城に戻る |