金川城跡全景![]() |
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| 旭川に宇甘川(うかいがわ)が合流する地点に金川の町並みが広がり、その背後に位置する標高225mの臥龍山山頂に築かれた中世の山城。現在は城山国有林の一部になっており、レクレーションの森「城山風景林」と名付けられ、臥龍山自然公園として整備されて、城跡を巡る遊歩道も設けられている。 |
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| 史跡 金川城(玉松城)跡 (現地説明板に一部追記) ![]() |
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| 別名「玉松城」。永正6年(1509)、城主元勝は、三条西実隆より「玉松・麗水」の二書を贈られ、以後玉松城と命名。 |
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| 縄張 (現地説明板に一部追記) ![]() |
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| 金川城の縄張は、戦国期の山城としては、岡山県内でも指折りの規模を誇る。本丸を中心に南に二の丸、そこから東に出曲輪、本丸の北東に北の丸、西に道林寺丸(三の丸)の曲輪を配している。 |
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| 【金川城概略】 この城の築城は諸説があって定かではないが、築城時期と築城者には二説ある。承久年間(1219〜22)の松田盛朝(もりとも)、文明15年(1483)の松田元成(もとなり)である。以後、西備前を支配した松田氏代々の居城であり、西備前随一の山城として栄えた。しかし、永禄11年(1568)、宇喜多直家に攻められ落城。直家は弟の春家を城主とした。その後、関ヶ原合戦で宇喜多氏が滅亡すると、小早川氏・池田氏と備前の国主は交代する。廃城も不明であるが、慶長8年(1603)とも、また、池田氏の家臣日置氏時代の元和元年(1615)、徳川幕府による一国一城令によって廃城となったとも伝えられている。 現在、山頂一帯に、郭跡・井戸跡・堀切・石垣の一部などの城郭施設が残されている。 |
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| 《遺構を巡る》 |
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登城口は妙覚寺の西側、七曲神社、御津支所前の三ヶ所にあり、御津支所の前から登って行きました。本丸跡まで約30〜740分です。下写真(左・右)が御津支所前からの登城口です。 |
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| 登城道の案内板と登城道 御津支所前から登り、千鳥坂経由で出丸跡・二の丸跡・本丸跡・北の丸跡・道林寺丸跡(三の丸跡)へと辿るコースです。なお、登城道には、写真(右・千鳥坂)のように階段が総数1.764段設けられています。 ![]() |
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二の丸跡![]() |
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杉ノ木井戸跡(二の丸跡)![]() |
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二の丸跡から望む旭川・金川の町並み![]() |
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本丸跡![]() 本丸は山頂の中央に位置しており、東西80m、南北40mの広さがある |
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本丸跡の玉松城碑![]() |
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天守の井戸跡![]() ![]() |
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<次は本丸跡から北東の北の丸跡に向う>![]() |
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北の丸跡![]() 北の丸跡東下側に白水井戸跡が、北端に堀切が残る |
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白水の井戸跡![]() |
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堀切![]() ![]() |
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<三の丸跡(道林寺丸跡)を訪ねる>![]() 北の丸跡から本丸跡に戻って、西に下ると三の丸跡がある |
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三の丸跡に残る石垣![]() |
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三の丸跡から見る宇甘川![]() |
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