| 【久保田城跡】 久保田城は秋田20万石佐竹氏の居城である。秋田初代義宣(よしのぶ)が慶長7年(1602)入部し、翌8年現在地に築城した。 天守閣と石垣のない城として知られている。本丸は明治13年(1880)7月の火災で全焼した。同23年公園として開放されその後千秋公園と称し現在に至る。 ![]() 二の丸跡にある千秋公園売店右上の、本丸玄関口の表門(左)と御物頭御番所(右)を望む |
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【所在地】秋田市千秋公園1番(右の地図はJR秋田駅近くの案内板より) 【交 通】 JR秋田駅から徒歩約10分 【城地種類】 標高45mの神明山の丘陵上に築かれた平山城 【現 況】 千秋公園(秋田市指定名勝)として整備され、御隅櫓、表門などが復興されている。千秋公園は、秋田藩主佐竹氏が12代約270年にわたって居城とした久保田城跡を、明治期の造園家長岡安平の設計によって整備した近代公園である。 公園整備は、本丸御殿の御池や城内の土塁・通路などの遺構を活かして行われ、明治30年(1897)に近代的な城跡公園として千秋公園が完成した。城跡を本格的に公園化する事業は、全国でも初の試みであり、千秋公園は、全国の城跡公園および近代公園のさきがけとして貴重であることから、秋田市の名勝に指定された。平成20年3月25日指定。 千秋公園の命名者は、秋田県出身の漢学者・狩野良知で、「千秋」の由来は、秋田の秋に長久の意の千を冠し、長い繁栄を祈ったものとされている。 【千秋公園が選定された主な『100選』】 ●日本の都市公園100選 ●日本の歴史公園100選 ●さくら名所100選 ●池坊逍遥100選 ●日本100名城 |
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【縄 張】<出羽国秋田居城絵図(御隅櫓にて撮影)>11代義睦(よしちか)が弘化4年(1847)3月に幕府へ提出した土居崩れの箇所の修復願いです。この絵図から当時の城内の建造物の配置がよくわかります。線引きは、その修復箇所を示しています。 【主な遺構】御物頭御番所、本丸、二の丸、土塁、石積、水堀 ![]() ▲御物頭御番所(唯一の現存建物) ![]() ▲長坂門跡の土塁と石積 |
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【再建建造物】御隅櫓 表門 |
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![]() 御隅櫓(平成元年再建・模擬建造物) 秋田市市政百年を記念して造られた歴史資料館。 |
![]() 表門(久保田城本丸の正門・平成13年再建) 発掘調査や古絵図を元に復元された櫓門。 |
久保田城散策 ![]() (現地案内板に一部修正・追記) |
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![]() 大手門跡 ここから黒門跡まで、大手門通りを進むと数分ですが、その前に穴門の堀、大手門の堀、中土橋門跡、土塁、内堀跡、鐘楼、松下門跡を巡ります。 |
![]() 穴門の堀・中土橋門跡・大手門の堀(高層ビルより) 千秋公園入口にある水堀。写真下側が大手門跡、JR秋田駅方面。 |
![]() 中土橋から見る「穴門の堀(水堀)」 |
![]() 中土橋から見る「大手門の堀(水堀)」 |
![]() 広小路 堀沿いのこの道は「日本の道100選」に選定。この道を真っ直ぐ行くとJR秋田駅です。左の堀は大手門の堀。 |
![]() 中土橋 中土橋は千秋公園への主要ルートです。左手が広小路で、中土橋を渡ったところが中土橋門跡。建設中の建物は、秋田県民会館跡に建つ「あきた芸術劇場(2021年4月現在)」です。 ![]() 中土橋門跡 道路は中土橋通りで、真っ直ぐ進むと内堀、松下門跡に行く。道路右手には秋田文化創造館が建つ。 |
![]() 土塁 左の建物が秋田文化創造館。右の高い建物は高校。文化創造館(中土橋を渡った右側の建物)の敷地は久保田城三ノ丸(下中城)にあたり、敷地内に残っている土塁は、城下からの登城ルートを抑える中土橋門に連なる防御施設です。 <次は中土橋通りから内堀跡、鐘楼、松下門跡を巡り、黒門跡に行きます> |
![]() 内堀跡 右奥が松下門跡に通じる登城路・大坂。左側の土塁上に鐘楼が位置する。 |
![]() 土塁上に建つ時鐘 千秋公園の時鐘は、寛永16年(1639年)2代藩主佐竹義驍フ時代に久保田城二の丸の東側(現・佐竹史料館うしろ)に鐘楼を創設したのが始まりである。その後、いくたびかの移転を経て現在の場所に建設された。右下は内堀跡。 |
![]() 松下門跡 中土橋方面からの二の丸の入口に位置する。藩政時代、正式な登城路は黒門側であったが、土崎、城下町中央部に近い松下門側も大いに利用された。門の周囲の縄張は初代義宣自身が手がけた自慢の設計であったと伝えられる。訪問時、松下門跡のある大坂は融雪設備工事中でした。 ![]() 以前訪問した時の松下門跡の写真です。 <次は黒門跡です> |
![]() 黒門の堀(水堀)と唐金(からがね)橋跡 大手門跡から大手門通り(写真右側の道路)を北に少し進むと黒門跡です。 |
![]() 二の丸正門の黒門跡 大手門から二の丸に至る正式な登城口であった。鉢巻土塁、石積、門の礎石などが残る。 |
![]() 黒門跡の土塁 土塁は「鉢巻土塁」とよばれ、下部に石垣が組まれている。 |
![]() 黒門跡に残る礎石 |
![]() 黒門跡の枡形 久保田城の土塁は、要所を屈曲させ、横矢掛りとしている。 |
![]() 枡形を過ぎると二の丸跡 売店の右上方には表門と御物頭御番所が建つ。 |
二の丸跡![]() 石段は二の丸から本丸に上る長坂。千秋公園売店の上方は表門 本丸周辺図 ![]() (現地説明板に追記) |
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![]() 長坂の石段 鉤の手に折れながら、長坂門跡、表門にいたる。 |
![]() 長坂門跡 長坂を上がり右折れすると長坂門跡。二の丸から本丸に入る長坂の途中にある。 |
![]() 長坂門跡と表門 長坂門は本丸の玄関口であ表門(一の門)の前に設けられており、二の門とも呼ばれていた。現在、久保田城跡に唯一残っている御物頭御番所(秋田市指定文化財)がこれらを管理していた。長坂門の名称は、二の丸から本丸へとのぼる長い石段「長坂」にちなんで名付けられたものである。 |
![]() 長坂門跡の礎石と鉢巻土塁 長坂門を過ぎると、表門と御物頭御番所がそびえる。 |
表門(一の門)と![]() |
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![]() 御物頭御番所 御物頭は秋田藩の行政機構の中では番方に属す役職であり、配下の足軽を指揮して二の門(長坂門)の開閉及び城下一帯の警備を担当した。久保田城内で旧位置のまま今日まで残っている唯一の建造物である。 昭和63年3月、保存修復工事を行い、平成2年に秋田市文化財に指定された。 形式 切妻造南庇付 こけら葺屋根 間口 約10.5m 奥行き 約9.5m |
![]() 御物頭御番所内部 御番所の南側14畳の部屋に物頭(足軽の組頭)が詰めて登城者を監視した。北側には休息所や台所・便所が配置されている。 |
![]() 久保田城表門(長坂門側) 表門は久保田城本丸の正門で、一の門とも呼ばれていた。本丸の玄関口として警備上からも重要な地点とされており、左手には門の警備と管理をする「御番頭局(ごばんがしらべや)」、門の下手には侵入者を警戒する「御物頭御番所」を置いて厳重な守りを固めていた。 |
![]() 久保田城表門(本丸側) この門は、絵図などの文献資料や発掘調査の成果をもとに再建したもので、構造は木造2階建て瓦葺き櫓門であり、佐竹20万石の正門にふさわしい壮大なものとなっている。 |
![]() 表門に使われていた礎石 礎石は、表門を再建した位置にありましたが、来園者に見やすいように現在の位置に移設したものです。 |
※本丸出入口は周囲に表門のほか、裏門・埋門・帯曲輪門に御隅櫓に通じる切戸口があった。 ![]() 裏門坂 上がって左折れすると裏門跡になります。 |
![]() 裏門跡 二の丸から本丸へと続く門の一つで主に夜間の出入りの際に使用した重層門の跡。 |
![]() 裏門跡の柱を支えた礎石 |
![]() 帯曲輪門跡 本丸の奥から二の丸の土門方向へ通じる門であり、本丸の下の帯曲輪に続いている。門の構造等は不明であるが、絵図等の記載では、土塁の上を巡る板塀に連結される形に描かれている。 |
![]() 土塁上から見た帯曲輪門跡 |
![]() 埋門跡 埋門(うずみもん)は本丸の背面(西側)に設けられ、土手を切って出入口とし、その上に多門長屋を渡した一種の隠し門である。 |
![]() 二の丸の土門(つちもん)跡 (※以上、「文」は現地説明板を参考にして作成) <久保田城本丸跡に続く> 地域別訪問城に戻る |