丸子城(まりこじょう)
[静岡市駿河区丸子]
 丸子城は、東西を泉ヶ谷と大鑪(おおだたら)の大きな谷に挟まれた通称三角山(みかどやま)の頂上を中心に築かれています。頂上の本曲輪に向かう尾根の上に、地形に応じた大小の曲輪が土塁や堀それに虎口を組合わせながら連なるように配置されています。主な曲輪群の周囲には、横堀や竪堀、要所に設けられた出曲輪などを効果的に配置し、更に自然の急斜面も防御の盾に利用するなど巧みな山城の縄張りの様子を見ることが出来ます。

 丸子城は、丸子川に沿って走る東海道を眼下に見る自然の要害の地に築かれています。この城は、駿府防衛の西側の関門として戦国期の駿府歴史の中で重要な役割を果たしてきました。創築年代は明らかではありませんが、今川氏による駿河の国の支配が始まる南北朝時代にまでさかのぼる可能性があります。

 丸子から宇津ノ谷(うつのや)にかけては、連歌師宗長の「宇津山記」に記されている斎藤加賀守一族の支配地でした。斎藤氏は、泉ヶ谷に居館を構え、今川家の家臣団の一員として駿府の西の護りにあたっていました。1568年(永禄11年)の甲斐の武田軍の駿河侵攻に伴い、この地も武田氏の勢力下におかれ、甲斐の山県昌景等の武将が在城して今川方に備えていました。この武田氏が支配する時代に、丸子城は大規模な武田流の大改造が行われ、現在私達が目にしている丸子城が形作られました。

 1582年(天正10年)には徳川家康は、持舟城(もちふねじょう)での攻防を経て駿府を武田氏の支配から取り戻します。その直前にも丸子城には武田氏の家臣が在城して護りについていましたが、丸子城における戦いの記録はなく、持舟城の攻防の前後に武田勢は退いたものと思われます。徳川家康は、一時家臣の松平備後守を入城させましたが、1590年(天正18年)の家康の関東移封とともに丸子城は廃城になったものと考えられます。
(作図と文は現地説明板より)

丸子城作図(上段)、現在地の様子
 丸子稲荷神社が安座し、横には城跡説明板が置かれている。右方向には、右写真の曲輪が展開する。



曲輪
 「駐屯地(外曲輪)」と書かれた表示板が立ち、ここから先に進むと下段の丸子城跡鳥瞰図の大手曲輪(東の曲輪・大手口・三日月堀)となります。


【丸子城跡周辺図(現地説明板より)
アクセス<体験工房駿府匠宿(おもしろ体験館)側登り口>〜JR静岡駅北口から、中部国道線・藤枝駅行7番で約30分、「吐月峰駿府匠宿入口」下車、登城口まで徒歩5分。


【丸子城跡鳥瞰図(現地説明板より)
武田信玄の侵攻により丸子も武田氏の領有となり改造拡張が行われ、遺構は甲州流山城である。
丸子城跡ハイキングコースは、山越えの遊歩道で、入口は体験工房駿府匠宿(おもしろ体験館)側と誓願寺側の2ヶ所。ほぼ中心に丸子城跡があり、散策するのに適しています。



「おもしろ体験館」横の丸子城跡入口。城跡まで徒歩15分。



登城道。城跡まで緩やかな登り坂になります。

【遺 構】曲輪 土塁 竪堀 横堀 丸馬出 三日月堀 枡形
▼大鈩(おおだたら)曲輪の三日月堀と長大竪堀


【丸子城の概要】

 丸子城は室町期の初めから、戦国動乱の終わりまで約150年間、今から400〜550年前にかけての中世の山城で、京都と鎌倉を結ぶ東海道の大動脈だったこの地区を押さえ駿府の西の防衛拠点としての要城でした。
 別名を宇津ノ谷城、三角山城とも言われ今川、武田両戦国大名によって標高136mの三角山を中心に尾根沿いに南北約500mにわたって多くの曲輪が階段状に築かれ、今川氏の北城と武田氏の南城を連結して武田流れの山城として完成したものです。
 天険を巧みに利用したこの城は当時の遺構がそのまま現存することでも有名で、その保存度は県内中世山城の随一で、全国的にも余り例を見ない貴重な山城遺構であるといえます。

(文と見取図は現地説明板より。見取図本丸の一部に追記)



 丸子城現況
(訪問日:2020年1月)

「東の曲輪(大手曲輪)」に遺る三日月堀と土橋

東側から見た土橋と土橋右横の三日月堀(空堀)



土橋
 土橋を渡った先は大手曲輪(東の曲輪)。土橋の後方は急崖となっている。


三日月堀
 雑草に覆われていて見にくいですが、三日月の形をした空堀が見て取れます。



大手曲輪(東の曲輪)


大手曲輪の竪堀
 

 次は北の曲輪に移動します。


北の曲輪と土塁(後方)
 北の曲輪は今川氏時代の本丸となる。



北の曲輪の土塁


 北の曲輪の次は、三の丸、二の丸、本丸に向かいます。



二の丸と本丸を仕切る堀切
 右側の階段上が二の丸、左側が本丸。



本丸への階段(二の丸側)
 階段を登った所が枡形虎口。


枡形虎口(城内側)


本丸跡
 本丸への出入り口は、枡形虎口、平虎口、喰違い虎口の3ヶ所があり、周囲には土塁が遺る。



平虎口(城内側)


喰違い虎口(城内側)

 次は、喰違い虎口から降って、本丸西側に展開する出曲輪(大鈩曲輪)の三日月堀、竪堀、横堀を見学します。


横堀と土塁
 左側の土塁と右側の急崖との間に築かれた横堀(空堀)。



上(二の丸)から見た横堀と土塁



出曲輪(大鈩曲輪)の三日月堀



長大竪堀


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