| 国登録(建造物) ■村山家住宅 ■倉敷市立磯崎眠亀記念館 |
![]() 岡山県における数少ない上質な明治洋風建築のひとつ村山家住宅 |
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村山家住宅の概要村山家住宅は、明治24年(1891)に高田氏(西高田)の邸宅として建築された、木造二階建ての洋風建物です。西高田は幕末以来、塩業で財をなした高田三家のひとつで、明治中期には紡績所の創設や経営にもたずさわっていました。 昭和10年からは、医院を開業した村山氏の診療所として使用されることになり、昭和36年まで外科医院として利用されました。その後は村山氏の居宅として、建築当初の形態をほぼとどめて現在に至っています。 建物の外観は、寄棟造・桟瓦葺の屋根部と白漆喰仕上げの壁体及び花崗岩の基礎石から構成されています。2階の前面は、吹き抜けのバルコニ―に6本の円柱が建ち並ぶコロニアル様式(17〜18世紀の西欧諸国の植民地時代の建築)になっています。1・2階の扉口上部には半円形のア―チが置かれ、両開きの窓には鎧戸が設置されています。このほかにも、軒蛇腹、バルコニ―の手すり等の各部に、美しい洋風装飾の意匠が施されています。 (文は倉敷市HPを参照) |
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![]() 村山家住宅は、村山クリニックの裏手に位置する(右奥の建物) 公開〜外観見学のみ |
![]() 交通〜JR瀬戸大橋線児島駅から車で5分。国道430号を玉野方面に進み、信号「新常磐橋」左折 |
![]() “備中茶屋町今神戸”とうたわれた茶屋町の繁栄は明治30年を中心に、地場産業の花形である その眠亀の研究所であり住まいであったのがこの建物で、明治7年の建築と言われている。内部には発明家らしい種々の工夫が見られ、また、町屋としての価値も高かった。しかし、100年を経過して老朽化も激しく、倉敷市が解体修理し、昭和63年4月磯崎眠亀記念館として開館した。その後、平成12年11月6日、国の登録有形文化財となり一層注目されることになった。錦花莚の発明者として敬愛される眠亀を郷土の誇りとして、いついつまでも語り伝えたいものである。(文は現地説明板より) |
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![]() 錦莞莚の創始者 磯崎眠亀 「錦莞莚」は精巧緻密な織りと美しい絵文様で大変人々を驚かせました。当時、岡山はい草や畳表の産地として有名でしたが、徐々に衰退の傾向にありました。しかし、この手織り織機の完成を機に、花ござの産地として新たに発展していきました。高価な「錦莞莚」は国内ではなかなか売れませんでしたが、輸出品として海外に活路をひらいていきます。特にイギリスなどからの需要が高く、明治の中頃には日本の重要輸出品の3位(1位:お茶、2位:生糸)をしめるまでになり、当時の日本では、大いに外貨を稼いだといわれています。(写真と文は説明板より) |
![]() 復元された錦莞莚織機(高さ2・3m、幅1・5m、奥行1・5m) この機械できれいな色と模様のはなござ(錦莞莚)を作った。この織機(しょつき)の筬(おさ)に眠亀が一番苦労を重ねついに梯形筬(ていけいおさ)を発明して錦莞莚の織物が完成。錦莞莚の材料となるい草は、枝のない1本の細くて長い草ですが、そのい草を使って織り込む。い草を乾燥させて色々なきれいな色に染めて使う。(文は説明板より) |
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| 磯崎眠亀記念館(眠亀旧宅) | |
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![]() 磯崎眠亀記念館は、眠亀の自宅であり、仕事場だった建物。大屋根に丸みをつけたり、二階の雨戸を外に突き出すなど、様々な工夫がなされている。手前の広場が記念館駐車場(無料) |
![]() 旧宅の玄関(カラーコーンの所)と通用口(右側)。現在では通用口が記念館の入口になる。眠亀没後には公民館として使用されたりもしていたが、1988年(昭和63年)に解体修理し倉敷市立磯崎眠亀記念館として開館 |
![]() 1階作業土間などには眠亀の年譜や写真、それに「錦莞莚」のデザインなどが展示されている |
![]() 1階座敷 |
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![]() (写真左) 2階への上り下りは階段でなくスロープとなっている。 眠亀は、研究の秘密が人から覗かれて外部にもれて、まねされないように研究室を2階に設けたため、研究の材料などを2階に楽に持ち上げることが出来ると考えだしたもの (写真上) 重い荷物を吊り上げていた滑車 |
![]() 職人部屋(手前)と作業場(奥の部屋)。二階の眠亀の作業場は、「錦莞莚」誕生の地でもある。ここには、100年以上も昔につくられた「錦莞莚」の現物3点(いずれも倉敷市重要文化財)を展示 |
![]() {アクセス}JR茶屋町駅から徒歩5分 {入館料}無料 {開館時間}9:00〜16:30 {休館日}毎週月曜日・祝日・年末年始・その他 「岡山県の文化財」に戻る |