中城城
なかぐすくじょう


三の郭(左側石垣部分)・裏門(中央)・北の郭(右側部分)を望む


【所在地】沖縄県中頭郡中城村

【築城年】14世紀後半頃と推定
【築城者】14世紀後半に先中城按司(さきなかぐすくあじ)によって築かれ、15世紀後半に護佐丸(ごさまる)が増築した城。 【地形種類】山城。かつて貿易が行われていた屋宜(やぎ)の港から2qほど離れた標高約160mの丘陵上にあり、中城村の西北から北中城村の南側にのびていく丘陵の東崖縁を天然の要害としている。

【文化財指定区分】国指定史跡・世界文化遺産 【遺構】建造物はないが、石造拱門、石垣、郭が残る。300余もあるとされる沖縄のグスクの中で最も遺構がよく残っていることで知られている。

護佐丸(?〜1458) 中城按司護佐丸盛春。唐名毛国 鼎(もうこくてい)。琉球が三山分立から統一へ向った頃の武将、名築城家。座喜味城、中城城を築いた。「毛氏先祖由来記」によれば、勝連城主阿麻和利(あまわり)から中山を防御するため、中城の地を賜ったとされる。1458年、阿麻和利の攻略によって滅びた。
沖縄では、城はグスクと呼ばれる。

【歴史】中城城跡は、14世紀後半頃「先中城按司」が数世代にわたり、西の郭、一の郭、二の郭の主な部分を築き上げ、1440年に読谷の座喜味グスクから移ってきた護佐丸によって、北の郭、三の郭が増築され現在見られるグスクの形が完成したとされる。1458年、勝連城主阿麻和利の策略によって滅ぼされたが、その後しばらくは尚氏が使用したといわれる。
 中城城跡は、1972年5月15日(日本復帰の日)に、国の史跡に指定され、2000年12月2日には、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして世界遺産にも登録された。


中城城跡案内図
(現地説明板に一部追記)

城は、連郭式の山城で、六つの郭で構成される。城壁は、主に琉球石灰岩の切石で積まれており、
自然の岩石と地形的条件を生かした美しい曲線で築かれ、六連郭の構えは琉球屈指の名城とされる。


◆中城城跡に残る三種類の石積み◆ 

野面(のづら)積み


あいかた積み

布積(ぬのづ)


 中城城跡を含め沖縄のグスクは本土より古い時代から石積技術が発達していた。
その石積みの種類は、大きく分けて野面積み、布積み、あいかた積み(亀甲乱れ積み)がある。
“中城城跡を巡る”


三の郭石垣と、その右手通路の先の石段部分が裏門。裏門をくぐると北の郭。



三の郭石垣と裏門(右端)。三の郭は新城(ミーグスク)とも呼ばれる。



太陽(てだ)が穴(東)に向って建てられた裏門。
ペリー探検隊一行がエジプト式と評したアーチ門。




護佐丸が井戸を取り込み増築したとされる北の郭。



北の郭から三の郭に至る石段。右側石垣後方は二の郭跡。



北の郭・物見台。石積みの種類は、あいかた積み。


  
画像(左・右)は、北の郭にある大井戸跡(ウフガー)。
西の郭にも夫婦井戸と呼ばれる二つの井戸がある。
城郭内に水を確保していることが、この城の特徴でもある。






中城城西側に築かれている門で、この門が本来の正門と考えられる。
石造りの門の上に木造の櫓が載っていたと推定される。




西の方角へ向けて建てられた正門(櫓門)。



西の郭と正門。門を挟むように両側に石垣がせり
出し、ハンダ道(公道)に向け狭間が造られている。



二の郭跡から望む一の郭石垣とアーチ門。石垣は曲線に築かれている。



二の郭から見る一の郭の城壁とアーチ門。門は石造拱門で
両側の城壁が湾曲して合横矢が掛かるようにしている。



中城城で最も広い一の郭。正殿があった郭。
護佐丸が宴を催した観月台もある。廃藩置県後は中城村役場に使用されていたが、沖縄戦で焼失した。




一の郭の観月台



霊域・南の郭。
左側に聖地久高(くだか)島へ遥拝所が位置する。
他に雨乞いの御獄(うたき)など城内には、八つの拝所がある。




鍛冶屋跡(カンジャーガマ)
鍛冶を行っていた所と言われているが、城のためか集落のためか定かではない。
一説によれば護佐丸が阿麻和利に備えるために武具を造っていたとも伝えられている。





中城城下には、18世紀中頃に建てられたと伝えられる代表的な沖縄の農家「中村家住宅」が現存する。


 中村家住宅は戦前の沖縄の住居建築の特色をすべて備えている建物。沖縄本島内でこのように屋敷構えがそっくり残っている例はきわめて珍しく、当時の上層農家の生活を知る上にも、貴重な遺構である。
 国の重要文化財に指定されている。










中城城登城口



中城城石碑
中城城マップ

那覇から車で約50分。


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