亀山城(別名・沼城)
<岡山市東区沼>

沼城跡全景

亀山城は、湿地に囲まれ沼地を利用した城。ここからは亀に似ているように見える

【亀山城跡】
 亀山城は、城の本丸、二の丸のあった弁天山の形が亀に似ているところから名づけられた。沼城ともいう。小学校の所在地に西の丸、楢部に出丸があり、これらを総称して亀山城と呼んだ。戦国時代中山備中守信正によって築城され、宇喜多直家が永禄2年(1559)浦上宗景よりこの城を賜り新庄山城より移った。以来直家の壮年時代活躍の拠点となった城跡である。天正元年(1573)岡山城に移るまで14年間在城した。慶長6年(1601)春、宇喜多氏にかわって岡山城主となった小早川秀秋によって廃城となり、亀山城の中心櫓(天守)は岡山城表書院の段の大納戸櫓に、城門は秀秋の家老稲葉内匠頭本邸の表門に移築された(現地説明板より)。


 
 東側から見た城跡


 
 小学校から見た城跡
上道郡亀山(沼ノ)城古図

(現地説明板より)


亀山城周辺図



<登城口から本丸に至る>

登城口の亀山城解説板



登城口

鳥居をくぐり、石段を登る



石段を登ると本丸跡。徒歩約3分
本丸跡。後方は本丸櫓台

石碑右側は「亀山城跡」、左側は「直家飛躍の地」、丸い石には「秀家生誕地」と刻まれている


本丸跡

のぼりの文字は宇喜多家家紋「児」


    
    本丸にある蘇鉄と赦免花伝説説明板

 
赦免花伝説
 関ヶ原の戦いに敗れ八丈島に流された秀家公の菩提寺宗福寺に二株の蘇鉄がある。この蘇鉄の花が咲いた時、なぜか赦免があったと言われている。
 文政年間に六十九人、天保年間に四十一人、弘化年間に六十四人、嘉永年間に二十四人の流人が赦免されたが、宇喜多一族には何の沙汰もなく、明治になって罪がゆるされたのであった(説明板より)。

本丸跡からの景色。城のすぐ近くには山陽新幹線が敷設



アクセス〜浮田校口バス停から徒歩約5分


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