| 西から望む大廻小廻山城跡 (左・大廻山 右・小廻山) ![]() 岡山県には古代山城が二つあり、大廻小廻山城はその一つ。もう一つは鬼ノ城(総社市) |
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| 《概 略》 大廻小廻山城跡は「日本書紀」などの歴史書に記録のない山城で、総社市の鬼ノ城(きのじょう)と同じく7世紀代の古代山城と考えられます。全周3.2㎞、城内の面積は約38.6㏊を測ります。平成17年3月2日国史跡指定。 整然と並べられた列石と版築盛土からなる土塁を周囲に巡らせており、土塁が谷部を渡る三ヶ所には石積みの防塁を伴った水門が造られています。城門や城内の施設についてはわかっていませんが、西に備前国府、北に国分寺・国分尼寺や山陽道、南には国府付属の港といわれる「岩間津(いわまのつ)」と、政治的な中枢や交通の要衝を見渡す立地となっており、663年の「白村江(はくそんこう)の戦い」の後、国内の防備を固める目的で築城された城のひとつとする説が有力です(現地説明板より)。 ![]() (写真は城跡説明板より) |
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史跡指定範囲図 (現地説明板に追記) ![]() |
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| 草ケ部地区の大廻山、小廻山に遺存する古代山城跡で、標高198.8mの小廻山と尾根続きの大廻山からなる。主峰と北西および西側の谷を取り込んだ単郭式の縄張になる。城郭の外郭施設は基本的には土塁築城になり、これが山頂から谷部にかけてとりかこみ、三ヶ所の谷筋には水門状石塁を構えている。 構造的な特徴から神籠石系山城の部類に入り、瀬戸内型に細分される。外周総延長約3.5㎞防禦正面を旧赤坂郡南部に向けた内陸志向を示している。城郭遺構は三ヶ所の石塁と随所に残る外周土塁地形だけである。この城跡の築城主体者と年代については諸説はあるが、確定をみるに至っていない。 |
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史跡指定範囲図の現在地周辺の状況 ![]() |
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| 一の木戸<水門跡>を巡る |
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![]() 現在地に設置の「道路標識看板(一部加筆)」 |
写真は左の「道路標識看板」○部分の場所。主要地方道岡山赤穂線を瀬戸駅方面に向って、左側に瀬戸町郷土館があるところを右に曲がります。![]() 右に曲がる所にある標識 ![]() |
上記掲載の「道路標識看板」現在地の場所 ![]() |
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| 大廻小廻山城(一の木戸) 大廻山、小廻山一帯を含むこの山城は石塁がある西側の三つの谷を取り込んだ総延長約3.2㎞の土塁(外郭線)で築かれている。7世紀に国家規模で築かれた朝鮮式山城の一つという説がある。石塁はそれぞれ一の木戸、二の木戸、三の木戸とよばれている。 この一の木戸は、防護壁であるとともに城内の水を排水するための施設でもあり、石塁の前面には排水口が口を開けている。石材は、近辺から採取できるホルンフェルスや花崗岩が利用されている。 構築当初の一の木戸は、現存している石塁より3~4段ほど高く、その上に土塁状の盛土が覆っており、幅約6m、高さ5~6mほどの規模であったと推測される(城内説明板より)。 |
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![]() 一の木戸跡 ![]() 一の木戸跡の石塁 ![]() 石塁前面の排水口 |
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大廻小廻山城跡山頂へは、一の木戸跡へ入る地点から、県道96号線を北東(瀬戸駅方面)に行った地点にある看板(下写真)の所を右に行きます。![]() |
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城跡東側の県道沼瀬戸線(220号)草ケ部地区からの入口 ![]() |
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