清水山城(しみずやまじょう)
[所在地]長崎県対馬市厳原町西里  [文化財]国史跡(昭和59年12月6日)  

清水山城「一の丸」から望む厳原(いづはら)市街地と厳原港


麓から見た清水山城一の丸・二の丸・三の丸(右下)の石垣群。「分類」山城、「縄張」連郭式、「標高」約208m。
独立状の丘陵清水山は馬背状を呈し、その稜線上に、一の丸(左上)、二の丸、三の丸と、地形に即して階段上に営んでいる。

史跡 清水山城跡
 清水山城跡は、有明山(558.2m)から延びた東の支脈先端にあたる清水山の尾根上に立地する、16世紀末の文禄・慶長の役に際して築かれた城である。

 天正期、豊臣秀吉が朝鮮半島の釜山に兵を送るために、本営とした肥前名護屋城から海を渡った後の中継地として、壱岐の勝本城とともに築いたと考えられる。イエズス会宣教師のルイス・フロイスは著書「日本史」で、これに関し、秀吉は壱岐と対馬に「屋敷と宿舎、食糧用貯蔵庫」の建築を命じたと記している。しかし、その構造を見る限り、いわゆる御座所の機能は清水山城ではなく金石城に担わされていた可能性がある。秀吉の築城指令を記す史料は確認されていないが、例えば文化6(1809)年に編纂された「津島紀事」では、秀吉の命により毛利高政が築城したと書かれている。なお、築城者については、近代に出された、対馬領主の宗義智が主力になり、相良長毎、高橋直次、筑紫廣門らが加勢したとする説が有力である。

 城は一の丸、二の丸、三の丸と呼ばれる3つの曲輪からなり、延長は約500mである。標高208mの山頂部から南東の標高95mまでの高低差のある地形に位置する。各曲輪は尾根筋の平坦部に石垣を築いて造られており、尾根沿いの石塁でつながっている。尾根は岩盤が露出した狭隘な地形のため、曲輪をつなぐ石塁も10m程の狭い幅で囲われた回廊状になっている。

 朝鮮半島に築かれた倭城には、退路の確保などを目的として設けられた港湾から城までを囲う竪石垣と呼ばれる構造があるが、清水山城跡の石塁も曲輪をつなぎ、囲うことで、城内部の防御機能を意識したのであろう(案内板より転載)。

【清水山城周辺図(案内板に追記、転載)
 =観光情報館ふれあい処つしま(厳原港から徒歩約15分。城パンフレット入手) =対馬市役所 =対馬博物館(仮称) =金石城櫓門 =旧金石城庭園「心字池」 =金石城搦手門 =万松院
 @ABCは清水山城への登山口。@は金石城内からの登山口で案内標識が立っています。ABは下の左写真です。Cは下の右写真です。

Aは対馬博物館(仮称)横の坂道を登って行く登山口。石垣上に建つ新しい対馬博物館は、2019年12月18日現在、開館準備中でした。なお、この場所は金石城東端部になります。Bは坂道右側の道を少し進んだ所にある鳥居をくぐって行く登山口。


Cは清水山城本体の登山口(清水山城登城口)。「観光情報館ふれあい処つしま」から歩いて約10〜15分です。

参考〜清水山城登城口から三の丸まで、150m徒歩6分。三の丸から一の丸(清水山山頂)まで、500m徒歩25分。


  ■ 清水山城跡探索 三の丸〜二の丸〜一の丸 

【清水山城跡 三の丸】

「三の丸」南辺石垣

清水山城跡 三の丸
 清水山城跡の東端に位置する。標高95〜105mの尾根の両肩部に石垣を築き、尾根に沿って細長い形状の曲輪を構成する。東西約80m、南北約30mである。曲輪の石垣は直線で構成され曲面は見られないが、長辺が10〜20m間隔で緩やかに折れて繋がっているため、一見すると長楕円形を呈する。

 北辺はやや不明瞭だが南辺は比較的良好に遺存する。隅角部は算木積みの様相を呈し、築石部は扁平な割石を多く用いて、一部だけに横の目地が通る布積みと大小の石を多方向に積んだ乱積みと呼ばれる積み方で構築され、他の石材よりも数倍大きな石を随所に配置する鏡積み様の技法も見られる。

 東部南側に虎口が開き、石段が残る。曲輪の累線上には六カ所の横矢枡形がある。三の丸の南端から下には、尾根の稜線沿いに等高線に直交して竪堀がある(案内板より転載)。


尾根の南辺肩部に築かれた石垣

左に折れたところが「三の丸」虎口


「三の丸」枡形虎口


「三の丸」跡
 尾根に沿った細長い形状の曲輪。


算木積み、鏡積みの石垣
 算木積み(さんぎづみ、長方体の石材の長辺と短辺を交互に組み、石垣の角部を強化したもの)や、巨石を随所に配置する鏡積み、また横矢枡形(敵を複数方向から攻撃するために石垣の一部を長方形に突出させたもの)など多様な石垣を見ることが出来る。


虎口側から見た「三の丸」石垣群

「三の丸」から「二の丸」に至る途中の石垣


【清水山城跡 二の丸】

「二の丸」石垣

清水山城跡 二の丸
 清水山城跡の中央、一の丸と三の丸の間に位置する。標高160m前後の平坦部に石垣を築き、不整な長方形の曲輪を構成する。各所に設けられた虎口、階段などの構造が良好に遺存する。

 東西約50m、南北約30mと三の丸よりやや狭い。石垣の遺存状態は良好で、構造が良く確認できる。曲面を持たず、鋭角と直角に近い鈍角で構成されるため、三の丸に比して直線的な様相である。

 隅角部には算木積みの要素が窺え、築石部は扁平な割石を多く用いて、一部だけに横の目地が通る布積みと大小の石を多方向に積んだ乱積みと呼ばれる積み方で構築した中に、他の石材よりも数倍大きな石を随所に配置する鏡積み様の技法が見られる。直線的な曲輪の累線や枡形虎口は、織豊系城郭の様相をよく表している(案内板より転載)。


「二の丸」内枡形虎口
 三の丸から見た「二の丸」内枡形虎口の導入部。


「二の丸」内枡形虎口の石垣

「二の丸」内枡形虎口


上から見た「二の丸」内枡形虎口

「二の丸」跡


「二の丸」の石垣
 隅角部には算木積みの要素がうかがえる。



「二の丸」を囲む石垣

織豊系城郭の特徴が見られる石垣。各曲輪で石積みの様式が異なるのも、清水山城の特徴

 【清水山城跡 一の丸】

「一の丸」内側の平入り虎口石垣

清水山城跡 一の丸
 清水山城の頂上部を石垣で楕円形に囲い造られた曲輪。各曲輪のなかで最も高い場所に築かれている。標高207mの山頂を中心に、東西約70m、南北約40mの範囲に石垣が巡る。平入り虎口が南東側と北西側の2カ所に設けられている。南東側の虎口は外と内に2列の石垣に1カ所ずつ2門が開くが、食い違いに配置され直線上には並ばない。

 虎口から二の丸までは、通称「水の手」と呼ばれる鞍部に虎口を設けているが、尾根筋を挟んで石塁が延び、曲輪間を繋いでいる。一方、北西側にも平入り虎口が開いており、二の丸に続く南東側とは異なり、幅の広い石段が設けられている。この2カ所の平入り虎口周辺は、扁平で小さめの石を積み上げており、他の曲輪を形作る石垣とは明らかに様相が異なる。角がない曲線で構成されているのも二の丸、三の丸と異なる特徴である。

 一方で、南東側に開く虎口の内側を築かれた石垣は、鏡石を使用した技法で積まれており、曲輪間の石塁や二の丸、三の丸の石積みと特徴を同じくする。曲輪の累線上には横矢枡形が1カ所設けられている。絵図には山頂部を囲う方形の基壇が描かれているが、現状での遺構は定かではない(案内板より転載)。


南東側(二の丸方向)に、二重に巡らされた外側の平入り虎口


外側の平入り虎口から見た内側(奥)の平入り虎口
 敵が直進できないよう虎口が食い違いに配置されている。


内側から見た外側の平入り虎口
 

南東側(二の丸方向)に、二重に巡らされた内側の平入り虎口


内側から見た内側の平入り虎口

扁平で小さめな石を積み上げた石垣
 二の丸、三の丸とは異なる独特の石積みである。


内側の平入り虎口周辺
 左方向の状況は、右写真となります。

一の丸跡
 石垣際のみが平坦地になっている。


厳原港から望む清水山城
尾根に沿って、山頂に一の丸、中腹に二の丸、東の段丘に三の丸が配置。

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