[南東面から見た本丸の高石垣]![]() 本丸南面の屏風折れの高石垣。右より巽三重櫓、天守、左端に西三重櫓 |
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| 再建天守 <1964年(昭和39年)外観復元> ![]() 層塔型 五重五階 鉄筋コンクリート造 |
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[南東面から見た本丸の高石垣]![]() 本丸東面の高石垣。左から天守、巽三重櫓、右奥は丑寅三重櫓。 |
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| 長崎県指定史跡 島原城跡 | |
島原城は、島原半島東部に位置し、雲仙普賢岳からのびる低丘陵上に築かれた近世城郭である。元和四年(1618)に松倉重政が着工し、寛永元年(1624)頃に主要部分が成立したとされる。中心部は、本丸・ニノ丸・三ノ丸が南北に並ぶ構造で、その北側には家臣団屋敷を取り込んだ外曲輪を構えて城の外郭線を形成している。敷地全体の規模は、東西約350メートル、南北約1200メートルで、平面は長方形を基調としている。島原藩の政庁として存続した後、明治六年(1873)の廃城令で城地は民間に払い下げられ城の建物は解体された。 中世から続く森岳城跡を踏襲し構築された城郭で、江戸時代に幕府が新規の築城を原則禁止していた中で、島原城跡は全国でも数少ない新設の城郭であった。その内部構造は極めて特徴があり、大手口から本丸に至るまでの複雑な城道や三十基を超える外曲輪の櫓群など、防御を意識した堅固な構造が残っている。また、本丸の入口などには、桃山時代からの伝統的な様式の巨石石垣が認められる一方、各曲輪の高石垣には江戸時代前期の先進的技法を見ることができ、築城技術の転換期の様子が良く残っている。県内の藩庁として機能した五城(島原市島原城・対馬市金石城・平戸市平戸城・五島市石田城・大村市玖島城)の中では、敷地面積や櫓・門数、建築・石垣の規模の点で最大の城郭である。 指定範囲は、本丸跡、ニノ丸跡、大手口跡の一部、外曲輪の屋敷跡(小早川邸)である(写真と文は現地説明板より)。 「別名」森岳(もりたけ)城 「城地種類」平城 「特徴」曲輪の縄張は、本丸、ニノ丸、三ノ丸が一直線に配置。本丸とニノ丸だけが、内堀で囲われていた。本丸とニノ丸は堀で隔てられており、廊下橋でつながっていた。 高石垣は、幾重にも屏風折れにし、その屈曲部と隅部に一重から三重の櫓を配し、防御している。 |
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![]() 「交通アクセス」島原鉄道[島原駅]より徒歩約5分 <訪問日>2019年3月再訪問 |
![]() 本丸正面入口(島原城入口。本来の城には無い観光用出入口) 車で城内まで入れます。 |
| 「再建建造物」 明治初期に城郭は廃城処分となり全て破却されたが、昭和35年以降、本丸に天守と3つの櫓、長塀が再建された。 最初に再建されたのは、1960年(昭和35年)に西三重櫓が再建され、その後、、1964年(昭和39年)に天守、1972年(昭和47年)に巽三重櫓、1980年(昭和55年)に丑寅三重櫓が再建。 |
西三重櫓![]() 日本全国の城の絵や各県のこけしなどを展示 |
丑寅三重櫓(民具資料館)![]() 民具の数々を展示 |
巽三重櫓(西望記念館)![]() 芸術家・北村西望氏の代表作を展示。 長崎平和記念像の作者 |
【現在の島原城地図】![]() (地図左は北、右は南。説明板より) |
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| ■本丸・ニノ丸を囲む幾重にも屈曲した石垣を巡る■ 石垣は約400年前の築城当時からのものとされ、文化的価値が高い。 島原大変(1792年)時には広範囲にわたる崩壊で当時応急処置が行われた。 又、平成24年(2012年)の大雨により西堀端の石垣などが崩壊し、修復されている。 |
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![]() 水堀 本丸南西隅の石垣と、櫓は西三重櫓。 |
![]() 本丸南側の水堀 屏風折れの高石垣をまじかにすると、島原の乱では一揆軍の猛攻に耐えた堅固な造りの城であったことが実感できる。 |
![]() 本丸東側の石垣と堀 ニノ丸北東側から見た光景。櫓は丑寅三重櫓。現在、堀はこのような状態ですが、築城当時は水堀であった。 |
![]() 本丸とニノ丸の間の堀 本丸北側石垣(左)と堀を挟んで右が二ノ丸。本丸とニノ丸は廊下橋で結ばれていた。廊下橋は、本丸への唯一の入口であった。 |
![]() 本丸(右)とニノ丸(左)の間の堀 西側から見た様子。もっと深い水堀であったが、現在は埋められている。 |
![]() 本丸(西面)石垣と堀 中央は天守、左端は観光復興記念館、右は西三重櫓。 |
北東側から見たニノ丸石垣と堀![]() 後方は本丸跡で一番高い建物は天守、左端は丑寅三重櫓。二の丸跡には、現在、島原文化会館が建つ |
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![]() 北西側から見たニノ丸石垣と堀 後方は本丸となり、天守が見える。 |
![]() 二ノ丸堀跡から後方の三ノ丸を眺める 三ノ丸跡は市街化されており、小学校や高校が建っている。 |
![]() 大手門跡 大手門跡から天守を望む。この場所から本丸に建つ天守が見えるが、当時は、本丸へはニノ丸へ廻って水堀に架かる廊下橋から出ないと入ることができない複雑な縄張であった。 |
![]() 時鐘楼 島原藩主・松平忠房公は、鐘楼を建てて時間ごとに�撞き鳴らし時刻を知らせた。島原の人たちに親しまれていたが、太平洋戦争下の昭和19年に金属として供出。昭和55年、志ある人たちによって復原。 |
![]() 武家屋敷 通路の中央に清水の流れる水路は、旧藩時代に生活用水として大切に守られてきた。 |
![]() 鯉の泳ぐまち 湧水の町島原。名水百選の島原湧水群の一つ。 地域別訪問城に戻る |