続編 和歌山城


御橋廊下と虎伏山山頂の天守郭(連立式天守)

【和歌山城地図

※一の橋・大手門→一中門跡→岡中門跡・表坂→松の丸→天守郭→本丸裏門跡・裏坂→二の丸・切手門跡のコ―スを順番に巡ります
(地図は現地説明板に追記、掲載)

【一の橋と大手門】

 大手門(追手門)とは城の内郭に入る正面の門です。和歌山城は天正13(1585)年に羽柴(豊臣)秀吉の命で弟の秀長が築城し、家老の桑山重晴を城代として置きましたが、この時は岡口門が大手門でした。慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いの後に和歌山城主となった浅野幸長は、城の大規模な修築を行いました。浅野期の途中で内郭の北東部のこの位置に橋をかけ、門を設置して大手としたのです。紀州徳川家もひき続きここを大手としましたが、橋を「市之橋」、門は「市之橋御門」と呼んでいました。それを寛政8(1769)年から「大手御門」と改称し、橋は「一ノ橋」に変えたのです。


大手門(城外側)
 大手門は高麗門形式の門で土塀や多門が連なり、西の石垣上には月見櫓が建っていて、一の橋には高欄擬宝珠が付けられていました。『紀伊国名所図会』を見ると、登城する重臣たちは橋の手前で駕籠や馬から降りなければならず、同道した重臣の家来は槍を立てかけて待合所で待機しています。


大手門(城内側)
 大手門は明治42(1909)年5月に倒壊しましたが、昭和57(1982)年3月に再建され、翌年3月には一の橋が架けかえられました(一の橋と大手門の文は現地説明板より)。



▼大手門から城内に進むと一中門跡になります。

【一中門跡】

一中門跡の枡形虎口と切込みハギの石垣(大手門側)


一中門跡
 一中門跡の石垣と石垣の間の後方には伏虎像(ふっこぞう)が置かれている。


伏虎像
 ここから左に進むと表坂登り口、右に進むと裏坂登り口、ともに天守郭へと行ける。ここから表坂へと向かいます。


石垣内側の雁木(石段)
 表坂へ向かう途中の東内堀沿いの石垣城内側には、城兵の上り下り用の雁木が残る。


天守郭に至る表坂登り口
 登らずに左に行くと岡中門跡。後方の高い石垣は松ノ丸櫓台。


大手門側から見た岡中門跡
 大手門側からの岡口枡形への虎口。真ん中の高い石垣は松ノ丸高石垣(櫓台)。岡口枡形は、「一の門」の岡中門と「二の門」の岡口門(重要文化財)で構成。


松ノ丸櫓台上から見た岡中門跡の喰違い石垣
 手前右は岡口枡形の内側部分、さらに右手には岡口門が配置されている。


▼表坂を登って虎伏山山頂の天守郭に向かいます▼
松の丸跡(通路部分)と本丸御殿跡を囲む石垣
 表坂を登ると先ずは松の丸跡になります。写真には写っていませんが、松の丸跡の左側一段下がった所は南の丸跡。通路奥が本丸表門跡となる。

 


本丸表門跡
 ここから、さらに進むと「天守一の門跡」に至る。

天守一の門跡


天守一の門跡と大天守
 この場所の反対側が本丸御殿跡です。


本丸御殿跡
 御殿跡は、現在和歌山市給水場となり立入り禁止である。石段を上がった所までしか行けません。


大天守から見た樹木で覆われた本丸御殿跡
 和歌山城のある虎伏山はラクダの背のように東西に峰があります。天正13(1585)年、秀吉の命で弟の秀長が先ず築城したのは、この山頂部分でした。
 慶長5(1600)年、関ヶ原の戦い後に和歌山城主となった浅野幸長は、城の大規模な修築を行います。山頂部分では、西の高い峰に現在の形に近い黒板張りの天守閣を新たに築いて本丸とし、東の低い峰に御殿を建てて二の丸としました。
 元和5(1619)年に徳川頼宣が入国すると、山頂全体が本丸となり、東の峰は本丸御殿と呼ばれた。その後、明治時代、廃藩により本丸御殿は解体された。


 
本丸御殿跡から望む大天守・小天守、さらに天守一の門跡と本丸裏門跡・裏坂。
大天守(東面)1層は比翼入母屋破風、2層は唐破風、3層は入母屋破風の造り。


【天守郭の図(現地説明板より)



▼天守一の門跡から天守郭を巡ります▼
【天守郭と天守閣】
 元和5(1619)年に徳川頼宣が入国すると、「天守閣」と呼ぶようになりますす。天守閣は大天守から時計回りに多門、天守二之御門(楠門)、二之御門櫓、多門、乾櫓、多門、御台所、小天守と続く連立式天守です。三階建ての大天守は不安形な地盤に制約され、一階の東側と西側が二棟を結合した珍しい比翼入母屋造となっています。
 寛政10(1798)年に黒板張から白壁となりますが、弘化3(1846)年の落雷で焼失しました。天守再建は通常は許可されませんでしたが、御三家ということで認められ嘉永3(1850)年にほぼ元のまま再建されます。
 天守閣は昭和10(1935)年に国宝に指定されますが、昭和20年7月9日の和歌山大空襲で焼失しました。しかし昭和33年、市民の努力で復元されたのです(説明板より)。

大天守
 天守一の門跡側からの眺め。鉄筋コンクリートで外観を忠実に復元。

  

左より天守二の門(楠門)、多門、大天守(西面)
 天守郭下段からの眺め。右下の建物は券売所(入館料 大人410円)。券売所のあたりが上記「天守郭の図」現在地になる。

  
(左)天守二之御門(楠門)。門左の櫓は二之御門櫓  (中)天守二之御門(内側)  (右)二之御門櫓

  
(左)二層二階の乾櫓 (中)御台所。右に小天守が位置する (右)二層二階の小天守と玄関。玄関は唐破風。右の建物は大天守、左は御台所



大天守からの眺望
 天守郭の建物群と紀ノ川河口を望む。


大天守から望む西内堀に架かる御橋廊下
 西内堀の左は西ノ丸跡、右は二の丸跡。


本丸裏門跡と後方は大天守と小天守
 本丸裏門跡から、裏坂を降って二の丸・西ノ丸方面に向かいます。


裏坂と石畳

銀明水
 裏坂の途中にあり、日常用水ならびに籠城時の非常用水であった。



台所門跡
 裏坂を降った所の門跡で天守郭へ登る入口でもある。門の右方向は二の丸跡・西ノ丸跡となる。




 ※台所門を出て西(左)に向かうと、切手門跡となり、その先には山吹渓と云われる鶴の渓の石垣が展開する。

切手門跡
 この門の奥(西)は、鶴之渓とよばれる場所で「野面積み石垣」が築かれている。

鶴の渓の「野面積み石垣」
 右側は国名勝の西ノ丸庭園(紅葉渓庭園)。


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