しんじょうやま
新庄山城
(別名)奈良部城
{所在地}岡山市東区竹原

新庄山城跡全景![]() 川は砂川。新庄山城の堀の役目を果たしていたと考えられる。 |
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新庄山城周辺図![]() 新庄山城と沼城との直線距離は約2q。宇喜多直家は新庄山城に10年間居城し、その後、沼城に移る。 |
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ハイキングコース図![]() 新庄山城登城口の案内図(一部加筆) ハイキングコース図の登城口周辺 (山頂まで約15分) ![]() |
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新庄山城跡登山口![]() |
新庄山城跡登山口![]() |
山頂(本丸跡)へは、鳥居をくぐり右に登る![]() |
山頂(本丸跡)への道![]() |
山頂(本丸跡)の新庄山城跡![]() |
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山頂からの眺め![]() |
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【新庄山城 概略】
天文18年(1549)春、乙子城主宇喜多直家は、砥石城主浮田大和が主君浦上宗景に背いたとし、宗景の軍勢と協力し砥石城を攻め、大和を敗死させた。このときの恩賞として宗景から奈良部を賜り、奈良部の山上に新庄山城を築き、乙子城から移ってきた。『室町時代後期の天文17年頃、浦上宗景が攻めて城は焼失している』
永禄2年(1559)、亀山城主中山備中守と砥石城主島村豊後守とが、主君宗景に対し謀反の噂があった。宗景は直家に命じてこれを誘殺させた。この功により直家は沼城(別名亀山城)を賜り新庄山城から移った。新庄山城は家臣に守らせていたが、直家が岡山城主となったとき、この城は役目を終え廃城となった。なお、本丸跡から焼麦が現在も出土する。