![]() 白石城木造復元三階櫓(天守) |
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| 【訪問日】2022年11月(再訪問) 【所在地】宮城県白石市益岡町(地図は現地案内板より) ![]() |
【アクセス】東北本線白石駅から徒歩15分。約1㎞。 訪問時、レンタサイクル(白石駅観光案内所にて受付)を利用しました。 ![]() JR白石駅前から白石城(○印)を望む。 左地図の延命寺には白石城の厩口門が、当信寺に白石城の二ノ丸大手二之門が移築現存している。 |
![]() 白石城厩口門(延命寺) 三間一戸の二階建瓦葺。もと厩曲輪(神明社一の鳥居付近)に建っていたもので、高さは少し低くなっている。国登録有形文化財。 |
![]() 白石城「二ノ丸大手二ノ門(当信寺山門)」 三間一戸の2階建ての門である。もともと、白石城二ノ丸の大手二ノ門であったが、明治7年以降の白石城解体、払い下げの時、市内の専念寺に払い下げ、移築された。その後、明治20年の東北本線開通の時、当信寺へ移築されたものである。白石城ゆかりの数少ない建築物である。国登録有形文化財。 |
| 【文化財史跡区分】市指定有形文化財 【歴 史】 天正十九年(一五九一)豊臣秀吉は、伊達氏の支配下にあったこの地方を没収し、蒲生氏郷に与えた。蒲生氏家臣蒲生源左衛門郷成は城下町を含む城郭、白石城を築城し城主となった。 慶長三年(一五九八)上杉領となってから上杉氏家臣甘糟備後守清長は白石城の再構築を行い居城した。慶長五年(一六〇〇)関ヶ原合戦の直前、伊達政宗は白石城を攻略し、この地方は再び伊達領となり、伊達氏家臣である片倉小十郎が大改修を行い、以後明治維新まで二百六十余年間片倉氏の居城となった(現地説明板より)。 |
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【縄 張】![]() |
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| 白石城は標高七十六メートルの最頂部には本丸・二ノ丸・中ノ丸・西曲輪、中段には沼ノ丸・南ノ丸・巽曲輪・帯曲輪・腰曲輪を置き丘の上に館堀川を巡らし、南は空堀で丘陵を切断、館堀川を隔てた平地には三ノ丸・外曲輪を配置した平山城である。城図は文政6年(1823)に再建された以降の白石城図。(白石城の図は、白石城天守閣入館券より、一部追記し掲載) ※白石城は明治期に入って破却されたが、平成7年に①三階櫓(天守)、⑤大手一之門、④二之門が木造で復元。土塀・天守台(野面積)も組み上げられた。 |
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![]() ①天守(三階櫓)②未申櫓③辰巳櫓④大手一ノ門⑤大手二ノ門⑥平重門⑦御成式台⑧表御殿⑨不断台所⑩記録役詰所⑪上御台所⑫御成御殿⑬御風呂場 ⑭御成御寝所⑮御近習詰所⑯奥向御殿⑰御茶室⑱裏御門⑲御弓場⑳腰掛㉑番所・厩㉒下便所㉓中仕切御門㉔御下男部屋㉕御漬物・御仕込所㉖弓槍剣御稽古所 白石城本丸は、仙台藩主伊達家が白石城に宿泊するための⑫「御成御殿(おなりごてん)」、⑧「表御殿(おもてごてん)」、 城主片倉家の私的な居館であった⑯「奥向御殿(おくむきごてん)」からなっていた。(白石城本丸画像・文は現地説明板より) |
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| 本丸は高さ九メートル余の石垣の上に土塁を囲み三階櫓・巽櫓・坤櫓・大手門・裏御門を備え、御成御殿・表・奥の諸建物があった。二ノ丸以下はすべて土塁で囲み、木柵をまわした崖を利用する等中世と近世城郭を併用した縄張であった。 元和元年(一六一五)の一国一城令以後も仙台藩は幕府から青葉城と白石城の二城が許され、明治維新には奥羽越三十一列藩同盟がこの城で結ばれ、公議府が置かれ輪王寺宮が滞城された。その後按察府の設置、兵部省兵隊屯所になるなど、日本の歴史の変転期には一役を担う重要な城であった(現地説明板より)。 |
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![]() ここから城跡見学スタートです 緩い登坂の途中には東口門跡があります。 |
![]() 東口門跡 正式には「二ノ丸大手二ノ門」と言い、白石城東側を迂回するように通った奥州街道沿いの大手口から城内に入り、外曲輪、三ノ丸の屈折した通路を通り、二ノ丸へ入る関門であった。 現在、東口門は白石市本町にある当信寺山門(冒頭で紹介)として移築されている。 |
| 【白石城本丸跡外郭石垣】 白石城遺構のひとつである本丸東側石垣 ![]() 左奥の説明板の右側斜面に見える石垣は白石城本丸に築かれた石垣の一部です。 石垣は、本来、土手の上部までありましたが、明治時代に解体され基底部のみ残っています。 |
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![]() ここの石垣は、北側と南側で異なる積み方がされています。 この説明板(上の画像)寄り、つまり、南側の石垣(下写真)は野面積みです。 |
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![]() 説明板寄り、南側の野面積み石垣 野面積みとは、自然石に、あまり加工をせずに石を積む積み方です。 よく見ると、大きい石の周りに小さい石が取り囲むように積まれています。 積まれた時代は文禄年間(1592~1595)と考えられます。 |
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![]() 四角形を基調に加工した石を隙間なく積まれている北側の石垣(打込接) 技法的には、野面積み石垣よりも新しい積み方です。この箇所はもともと、野面積みであったものが、大雨、地震等で崩れ、積み直されたものです。 度々、石垣が崩れ、修理されたことが、白石城主であった片倉家の江戸時代の記録(片倉代々記)に記載されています(現地説明板より)。 |
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北側の打込接の石垣 通路を左に曲がって行くと本丸です。右の白い建物は、歴史探訪ミュージアム。 |
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![]() 歴史探訪ミュージアム 1階 おみやげ・お食事 2階 歴史資料館 3階 ハイビジョンシアター 訪問時、ミュージアム見学後、城を訪ねました。 |
![]() 歴史探訪ュージアムから見る大手二之門(左)と三階櫓(天守) |
次は本丸跡を巡ります![]() ![]() 片倉家中旧小関家 武家屋敷 地域別訪問城に戻る |
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