津和野城下町
<津和野城周辺案内図>
(現地資料に一部加筆)

 
山陰の小京都〜津和野の町並み・殿町通り
 津和野は、島根・山口両県の県境に位置し古くから政経文化の中心地、城下町として栄え、津和野は「つわぶきの生い茂る野」をその名の起源にもつといわれる。

 

殿町通りの風景
 藩校養老館跡(右側建物)や町役場・多胡家老門など、昔の門構えとなまこ塀の家が並んでいる。道沿いの堀割には、しょうぶが咲き錦鯉が泳ぐ。


【津和野藩校養老館】

 天明6年(1786)亀井氏8代藩主矩賢(のりたか)の創建にかかり、
始めは城下、下中島の地に設けられていたが嘉永6年(1853)の大火に焼失し、安政2年(1855)改めてこの地に建設された。


 現在残っている養老館は門より左が剣術教場・居合柔術教場、右が槍術教場であり正面奥の土蔵は御書物庫であった。代々の藩主特に11代茲監(これみ)は文武の奨励に力を入れた。西周、森鴎外ら全国に名を馳せた幾多の賢哲を育成した。津和野藩校の跡として貴重な文化財である。



槍術教場


養老館展示品


【津和野町郷土館】

津和野町郷土館
 養老館から津和野大橋を渡った左手に建つ。


郷土館展示の太鼓
 三本松城(津和野城)の麓にあった時打櫓にそなえつけられてあった太鼓。


【多胡家表門】

家老多胡家表門(建指定文化財)
 多胡家は、津和野藩の筆頭家老職を亀井家11代にわたり務めた。


多胡家表門裏側
 三間二戸薬医門の形式。屋根は切妻造り、桟瓦葺き。また門の左右に番所を構え、格式の高さを示している。江戸時代中期の武家屋敷門の建築様式を今に伝えている。



【山麓の櫓『馬場先櫓』『御物見櫓』
馬場先櫓

 山麓の居館(藩邸)の隅櫓。幕末に再建された。津和野城は明治になって廃城となり、山麓の櫓二棟(馬場先櫓・物見櫓)を残して建物は全て取り壊された。


幸橋から見た馬場先櫓

 後方の建物は津和野高校。左上山頂に津和野城本丸石垣が微かに見える。

嘉楽園(からくえん)

 この地は、旧津和野藩主亀井家の藩邸があった場所で、当時の藩邸は南北300m、東西140mにわたり、北側に建物、南側に庭園が築かれていた。明治の廃藩とともに建物は解体され、北側は津和野高校の敷地となり、この庭園跡がわずかに往時の面影を偲ばせている。


物見櫓

 藩主が祭礼等の催し物を見物した白壁の建物。別の地にあったものを保存のため現在の場所(嘉楽園)に移築。外観は一重、内部は二階の長屋で、かつては諸大名の江戸屋敷の周囲には必ずといってよいほど存したが、現存例としては全国唯一の建物。

    別角度からの物見櫓(左・右)
         


 
馬場先櫓、物見櫓、嘉楽園のある周辺状況


【森鴎外旧宅・西周旧居】

世界的文豪「森鴎外」旧宅(国指定文化財)


近代日本哲学の祖「西周(にしあまね)」旧居(国指定文化財)


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