![]() 二之丸跡から望む清水門(中央)、本丸石垣、前御門(三重櫓の手前)、三重櫓 |
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小峰城跡について阿武隈川の南側、小峰ヶ岡と呼ばれる東西に長い独立丘陵(標高370メートル)を利用して築かれた城郭が小峰城です。江戸時代に編さんされた「白河風土記」(1805年成立)によれば、興国・正平年間(1340〜69)頃、白河庄の領主結城宗広の嫡男親朝(別家小峰家を創設)の築城がはじまりとされます。 永正年間(1504〜20)以降、一族に起こった内紛で小峰家が権力を掌握し、白河結城家を代表するようになると、本拠が小峰城に移ったと考えられています。 天正18年(1590)、豊臣秀吉の奥州仕置によって白河結城家が改易され、以降約40年にわたって白河は会津藩領となり、小峰城には城代が置かれました。 寛永4年(1627)、白河は会津藩領から離れて白河藩が成立します。現在目にすることができる石垣をめぐらせた城跡は、初代藩主丹羽長重が幕府の命を受けて改修したとされ、梯郭式平山城の近世城郭として寛永9年(1632)まで約4年の歳月をかけて大きく改修したものです。 この大改修は、本丸・二之丸を総石垣で固め、三之丸も門の周辺部を石垣積みとしたもので、東北地方には数少ない、随所に石垣を多用した特徴があります。 現在、本丸・二之丸を中心とした約16万3000平方メートルが史跡となっていますが、当時の城郭の範囲は現在のJR白河駅の南側までを含むもので、約54万平方メートルの規模と推定されています。 小峰城は、丹羽長重とその子光重が在城したあと、榊原家(1代)・本多家(2代)・奥平松平家(1代)・結城松平家(3代)・久松松平家(4代)・阿部家(8代)と、親藩・譜代大名6家19代の居城となり、北東北の外様大名に対する江戸の防衛ラインの一端として「奥州の押さえ」の役割を担いました。 慶応3年(1867)、阿部家が棚倉に転封されると白河藩は消滅して小峰城は幕府管理となり、翌年に戊辰戦争が勃発すると新政府の管理地となります。東北地方まで戦火が及ぶと、要衝の地である白河をめぐって奥羽越列藩同盟軍と新政府軍が戦い、小峰城内の建物の多くは焼失しました。 しかし、平成3年(1991)に三重櫓、同6年に前御門が発掘調査や江戸時代の精巧な絵図(「白河城御櫓絵図」)をもとに木造で忠実に復元され、往事を偲ばせています。また、この復元は、近年全国各地で行われるようになった城郭建築物の木造復元のさきがけとなりました(文と地図は現地説明板より)。 |
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「奥州白河城下全図」(部分)![]() (上・右ともに現地説明板より) |
「現況における本丸・二之丸を中心とした、門・櫓(赤字)の位置と名称」![]() 丘の上に本丸、そのすそが二之丸、さらに南(写真下側)から東にかけての平地が三之丸となり、JR白河駅南側には大手門があった。 |
![]() 大手門跡の礎石 大手門は、城の正面、表口にあたる門で、小峰城では、平成5年に実施した市街地の発掘調査により位置が特定されました。右地図参照(現地説明板より)。 ここに展示している礎石は、発掘調査により発見されたものをそのままの配置で移設したものです。 礎石は、上面を平坦に加工し、柱を据える中央部分には「ほぞ穴」が設けられ、周囲には柱材の痕跡が残されています。 この痕跡から、柱の太さは門柱が62×46p、控柱は33p角であったことがわかりました(文と右地図は現地説明板より)。 |
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![]() 小峰城はJR白河駅の北側に位置しており、白河駅は南口にしか改札口はないので、改札を出て左に行き、こみねふれあい通り(連絡地下通路)をくぐれば目の前に城跡が展開しています。訪問日は2022年5月(2回目)です。 (上の周辺図と、右の城山公園内マップは現地説明板より転載) <ここから城跡を巡ります> まずは、太鼓門跡からスタートし、二之丸内を見学後、藤門跡から本丸外周部を回り、その後本丸内を見学します。 |
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![]() 太鼓門跡 太鼓門は二之丸の南側入口にあたる門で、三之丸からの土橋を渡った所に設けられていました。石垣の上に櫓をわたした櫓門であった。 |
![]() 会津門跡 小峰城の北西側に設けられた会津町の武家屋敷から三之丸に入る門で、会津町に通じるため、この名称となったようです。 |
![]() 元太鼓門跡 右の二ノ丸茶屋の左側辺りが元太鼓門跡。手前の窪地は内堀跡。 |
![]() <藤門跡側から本丸外周部をめぐります> |
![]() 本丸東面の石垣 石垣上には竹之丸の櫓が建っていた。 |
![]() 搦手側から見た三重櫓 通路を進んだ所には矢之門が位置します。 |
![]() 矢之門跡と後方は三重櫓 矢之門は、本丸を囲む帯曲輪の北東側の出入口で、石垣の上に櫓を渡した櫓門と、2階建ての櫓が連結しています。櫓と門が連結した形式は、小峰城内で唯一のものです。帯曲輪の防御と、城の北側の監視機能を兼ねた、重要な防御施設といえます。 |
![]() 帯曲輪から見た高石垣上に建つ三重櫓 矢之門から城内に入った所から見た三重櫓。三重櫓台は、古い特徴の見られる石垣です。 |
![]() 三重櫓下の北面石垣 小峰城跡で最古と考えられる石垣。石垣の積み方は、「打込ハギ乱積み」で、石材を粗く加工したもので、大きさも不揃いです。すき間に間詰石が詰められています。この説明については、右側をご覧下さい。 |
![]() 古い特徴の見られる石垣(北から) 三重櫓の北面石垣の一部では、大型で不定形の石材を使用し、石材の表面に粗く割った面を残す特徴が見られます(赤線内側)。この石積みの特徴から、江戸時代開始の前後である、慶長年間(1590〜1615)頃に築かれたと考えられます(文・写真は現地説明板より)。 |
![]() 東日本大震災からの復旧(本丸北面の石垣) 東日本大震災(2011年3月)で本丸北面は、2ヶ所で石垣が崩落したが、西面から北面まで一体的に解体し、修復を行いました。 |
![]() 東日本大震災からの復旧(本丸西面の石垣) 本丸西面から北面にかけての石垣修復は、平成27(2015)年から平成30年(2018)まで実施しました。 |
![]() 帯曲輪門(おびくるわもん) 帯曲輪門は、本丸を囲む帯曲輪の南側の出入口で、清水門(下写真)を入って左手奥に設けられていました。資料によっては「中ノ門」とも記されています。 |
![]() 帯曲輪門 門は石垣の上に櫓を渡した「櫓門」の形式でした。また、門の南方に突き出した石垣の上に、月見櫓と呼ばれる2階建ての櫓がありました。門を入って右に向かうと桜之門跡となり、さらにその先(東側)には清水門があります。 |
![]() 清水門跡 本丸の正面入口にあたり、二之丸と本丸をつなぐ重要な門で、高さ約4.5mの石垣の上に櫓をわたす「櫓門」の形式です。瓦葺きで高さは約11m、間口は約13mありました。 |
![]() 月見櫓台 石積みの種類は、「切込ハギ布積み」で、石材の目地が通るように、規格化された切石をすき間なく積み上げています。左上部は帯曲輪門跡。 |
帯曲輪門跡(本丸側)![]() 帯曲輪門を進んで、本丸に入った所で、本丸御殿跡から見た帯曲輪門跡 <この後は、清水門から本丸跡を巡ります> |
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| アーカイブ 清水門跡(2005年11月撮影) ![]() 清水門を入って左に行くと帯曲輪門や桜之門に至る。右に行くと前御門、三重櫓に至る。 |
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清水門を入った正面の石垣(2005年11月撮影)![]() 半同心円状に見える清水門を入った所の正面石垣 |
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桜之門跡(2005年11月撮影)![]() 上がって行くと本丸御殿跡となり、その先には、三重櫓と前御門が建っている。 |
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本丸石垣(2005年11月撮影)![]() |
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水堀(2005年11月撮影)![]() 清水門脇東側(右手)の石垣と水堀。 続・小峰城跡へどうぞ 地域別訪問城に戻る |
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