続・小峰城跡

小峰城本丸周辺復元想定図(日本建築研究所蔵)


(現地説明板より)


中央に清水門、本丸石垣右上の前御門と三重櫓を望む


清水門脇の石垣と水堀(西側)
 手前側の石垣の積み方は、「打込ハギ布積み」で、大きさがほぼ同じ石材を用い、横方向に目地が通っています。奥側にはまた別の積み方の石垣も見られます。


清水門脇の石垣と水堀(東側)
 下写真2枚は、少し下がって全体を撮った写真です。


清水門脇の石垣(西側)


清水門脇の石垣(東側)

 <清水門を経て左に向かいます>

桜之門跡
 桜之門は清水門から左側を入った場所にあり、本丸御殿の南側入口にあたる門です。石垣の上に櫓をわたす「櫓門」の形式で、門の高さは約7mでした。


桜之門西側(左)の石垣

桜之門東側(右)の石垣
 右奥の通路を上がって行くと、前御門、三重櫓に行きます。


桜之門内の様子
 門を入ったこの先を出ると御殿の庭部分に通じており、藩主の居住区に近く、藩主などの出入りに利用されたと思われます。


本丸御殿跡と東側には前御門・三重櫓が建つ
桜之門から本丸に入ると、この光景が広がっています。広場は本丸御殿跡です。

<清水門を経て右に向かいます>

清水門を入ったすぐ前の高石垣(半同心円状)
 清水門から左方向に展開する石垣。左端は桜之門跡。

【小峰城の石垣】小峰城に石垣が積まれたのは、江戸時代の初めの会津藩支城時代のときです。主に本丸に積まれていたようで、この時期の石積みの跡は、三重櫓の北面の石垣で確認することができます。
 寛永4年(1627)に白河藩が成立し、初代白河藩主となった丹羽長重は、寛永6年(1629)から約4年をかけて、城郭の大改修を行いました。長重による改修の特長は、本丸・二之丸を総石垣造りにして、三之丸の各所の門付近にも石垣を築いたことがあげられます。
 明治時代以降、本丸・二之丸を除く大半には、官公庁や住宅、線路・駅舎が造られ、多くの石垣は壊されました。それでも現在、本丸を中心に約2qの長さの石垣を確認することができます。
 今残る石垣は、江戸時代から現代まで何度も修復が行われました。そのため、石垣を観察すると、様々な積み方の石垣を確認することができます(現地説明板より)。


清水門を入ったすぐ前の高石垣(半同心円状)
 清水門から右方向に展開する石垣。左右ともに曲線のような、半円を描いた石垣。右に行くと前御門、三重櫓があります。


前御門(復元)
 竹之丸跡から見た前御門。


三重櫓(復元)
 本丸の北東隅に建つ三層三階の櫓で、小峰城の中心となる最も規模の大きな櫓です。高さが約13m、一階が約12m四方、二階が約8m四方、三階が約4m四方の正方形となっています。外観は黒塗りの板を張った「下見板張」で、耐久性が高いとされます。


前御門と三重櫓
復元について〜「白河城御櫓絵図」(福島県指定重要文化財)や発掘調査にもとづき木造で忠実に復元されたものです。


本丸御殿跡
 本丸の平坦地には、御本城御殿(本丸御殿)と呼ばれる建物が存在していました。


前御門
 本丸御殿跡から見た前御門。

三重櫓
 西側の土間に出入口があります。石段を上がったところになります。三重櫓に使用した瓦は1万3千枚を超える膨大な数だったことが記録に残っています。


三重櫓内部
 張り出した土間が設けられており、「石落し」や「狭間」も設けられている。


鉄砲玉の跡
 三重櫓復元に使用された大杉に打ち込まれた鉄砲玉の跡。



二ノ丸茶屋(左)と小峰城歴史館(右)
 茶屋と歴史館の間の窪地は内堀跡。後方はJR白河駅と市街地。


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