続・向羽黒山

<二曲輪周辺地形図>

(現地説明板に追記)


二曲輪跡への登り口
 この登り口は地形周辺図の下側に位置します。石段右側は、右写真の堀切・門跡になります。

 二曲輪は、二ノ丸、一曲輪は、本丸と近世になると呼ばれるようになります。二曲輪には、この山城の中でも中心となる主殿のような建物がありました(説明板より)。


堀切・門跡
 現在道路となっている二曲輪(道路左)と一曲輪(道路右)の間のこの部分には、人工的に尾根を低くした堀切がありました。またここには、一曲輪に入る門がありました(説明板より)。


二曲輪虎口
 二曲輪に入るには虎口と呼ばれる部分に門がありました。この虎口は、林道側の駐車場・トイレのあるところから登ってすぐのところにある虎口です。


二の曲輪跡(二の丸)
 向羽黒山城は東北の雄、葦名盛氏が永禄4年(1561)に着工し、同11年に完成した軍事的にかたよった縄張りをもつ山城である。
 この二の曲輪は実質的には近世の本丸(城主の居所)にあたる所と考えられ、一の曲輪の嶮峻さに比べ、曲輪取りも広く、展望性に富んでいて、生活に必要な飲料水を確保している水の手曲輪も近くにあり、生活機能が重視されている。
 この平場上から礎石も発見されているのでそれを用いた建造物などが存在したとも考えられる(説明板より)。


虎口
 二曲輪中枢部に上がるところにある虎口。この場所を虎口と紹介したのは、現地パンフレットを参考にしました。


虎口
 別角度から見た様子。石垣が残り、石垣造りの虎口であったと考えられる。

 ■現在、城跡の状況が見て分かるように遺構表示板の設置等を進めているようですが、この先、それらしきものは見当たらず(見落としたかもしれませんが)、自己流で判断しました。また、資料も用意していましたが、今どこにいるのか迷いました。ともかく、空堀、堀切、土塁、曲輪跡(平坦部)、虎口と思われる遺構が多く展開していました。

土塁と堀と思われます。石垣は後世の改変なのか、遺構かどうか分かりません。


竪堀に見えます。


曲輪・横堀・堀切のような構造物が数多く見られます。


堀と切岸でしょうか?

 三曲輪御茶屋場曲輪

土塁
 この土塁は、左の建物(WC)奥まで築かれています。この場所は、史跡区域に入って管理棟を過ぎてすぐの最初の駐車場になります。
 なお、土塁右側の林道を少し下った右手に下写真の堀切が位置します。


土塁
 左写真の左奥に続く土塁です。右の建物はWCです。


堀切
 二曲輪と三曲輪を分ける、城中最大の堀跡です。


三の丸跡
 三の丸は永禄4年(1561)おもに馬の訓練場として造られたところで西北見張りもよく望楼や指揮陣屋など並設されていた。
 盛氏の兵力養成の広場でもあって、着々完備に意を尽くしたが、天正3年(1575)7月、嫡男盛興の早逝に遭い再び黒川城(鶴ヶ城)に移ることになり、その計画も中断せざる得なかった(説明板より)。


御茶屋場曲輪


御茶屋場曲輪から望む
 阿賀川と、左奥は会津若松市街。


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