続・二本松城跡

(現地説明板より)


【箕輪門】

再建された多門櫓と二階櫓(推定復原)
 登り切った所が右写真となります。

箕輪門(中央)と両脇に、多門櫓(左)、二階櫓(右)


箕輪門(櫓門)
 箕輪門は二本松城の正門にあたり、江戸初期城主丹羽光重の建造である。城下箕輪村山中にあった樫の大木を主材としたのでこの名がある。戊辰戦争によって灰燼と帰したが、昭和57年8月に再建された枡形門。門を入って左に行くと三ノ丸跡(御殿跡)。


内側から見た箕輪門とその左は二階櫓
 右の石垣を入れば三ノ丸跡(御殿跡)。

箕輪門のアカマツ(石垣側)
 箕輪門北側の石垣上に植えられているアカマツの古木群裾。二本松市指定天然記念物。
 

(説明板より)

三ノ丸跡下段 
 丹羽氏が居住した御殿跡で、寛永初年(1630年頃)に加藤氏が中世城館を近世城郭に改変したことにより、上下2段に分かれていることが特徴である。石垣上が三ノ丸上段。

(左)三ノ丸上段 (中)霞ヶ池 (右)洗心亭(福島県指定重要文化財) 城跡内に唯一残る江戸期の建造物。大名による茶屋の県下における数少ない遺構。


(左)るり池 光重公時代の造園の姿を今に残す。 (中)霞ヶ城の傘マツ 別称「八千代の松」ともいわれるアカマツの巨木 (右)洗心滝


(左)土井晩翠歌碑 「花ふぶき 霞ヶ城のしろあとに 仰ぐあたたら 峯のしら雪」 (中)智恵子抄詩碑 「あれが阿多多羅山 あの光るのが阿武隈川」と刻まれている。(右)新城館(しんじょうたて) 二本松城が会津の支城であった時代、城主に代わって城を守る城代が二人置かれていた時期がありました。二城代がそれぞれ二本松城内の東城と西城に詰めていたと記録にあり、ここ「新城館」はその西城にあたります。またここは、少年隊の丘とも命名されている。

 【搦手門跡】

搦手門跡
 裏門。今は門台石垣と門柱礎石のみが残る。平成13年度発掘調査の結果、新旧2時期の門跡が確認された。第1期は掘立柱の冠木門であった。今見られるのは第2期の搦手門跡です。


搦手門跡の門柱礎石
 この礎石は据えられた当時のまま残されていることが確認されました。柱間は3.2mあり、扉のためのホゾといわれる穴があることから、1枚約1.4mの扉のつく高麗門である可能性が高いと考えられます。両側には門台石垣が築かれ、その石積み様式から寛永初期の門跡であることがわかりました。これらのことから、蒲生氏時代に掘立柱であった門を、加藤氏が石材を用いて整備したことが明らかとなりました(説明板より)。
 左の石段を上がると本丸跡に行きます。


現存する門柱礎石


搦手門跡石垣(復元)

【本丸】

前回訪問時撮った本丸石垣

本丸石垣修築復元の概要
 平成3年3月から5ヶ月にわたり実施した発掘調査で、はじめて本丸の形状と規模が判明しました。すでに崩壊し減失したと考えられていた石垣の、A面からE面までの長さ約80mにわたる遺構が検出されたからです。
 石垣の特徴的な積み方のひとつである慶長期の『穴太積み』や元和・寛永期の各様式のほか、江戸後半期の様式が確認できました。
 これらの貴重な石垣を後世に残すため、各方面からの検討を重ね、平成5年8月から学術調査とあわせ石垣の全面修築・復元工事に着手し、平成7年6月に完成しました(説明板より)。


(説明板より)


復元された本丸石垣
 搦手門跡から上がって行くと、この場所になります。本丸跡平面図のI面石垣です。右側石垣はJ面石垣でこの先に枡形虎口があります。


本丸E面石垣
 E面石垣の下部は、築石は野面石(自然石)と荒割石が用いられ、その積み方は慶長初期の古式『穴太(あのう)積み』と呼ばれる特徴的な石垣です。二本松城に築かれた、最も古い石垣のひとつです。
 しかし、修復・復元する場合、上部石垣の重量に耐えられないこと、約50%を占める石材が割れ・風化により再使用できないこと等の理由により、この部分は他へ移築展示(左下写真)し、移築展示したその部分には、新しい石材で『穴太積み』の復元を図りました。

 

移築展示されたE面の下部石垣
 この旧石垣は後世に伝えるため、『穴太積み』の特徴を最も残している長さ約12m、高さ約2.5mの範囲を近接したこの場所に、原状の段差地形を利用し、移築展示している。


移築展示の旧石垣立面図
 

本丸石垣B面石垣(正面)と右はC面石垣
 左奥に行ったところが枡形虎口。

枡形虎口


枡形虎口
 上がって右折れの形態。奥の一段高い石垣は東櫓台。


東櫓台から見た枡形虎口


本丸跡
 右に天守台、後方は西櫓台。


東櫓台


西櫓台


天守台
 天守台は造られたが天守閣はできなかった。


ここから下山します

本丸下南面大石垣
 二本松城に築かれた、最も古い石垣のひとつ。築石は野面石(自然石)と荒割石が用いられ、その積み方は古式の「穴太積み」と呼ばれる特徴的な石のデザイン・テクニックです。大小の石材をレンガをかさねるように横積みし、数石しか“横目地”の通らない、いわゆる「布積み崩し」の積み方です(説明板より)。


日影の井戸
 千葉県印南市の「月影の井」、神奈川県鎌倉市の「星影の井」と並び「日本の三井」と称されています。


城内路
 会津領時代に城代がおかれた松森館と新城館との連絡通路。虎口状の遺構が残っていて、畠山時代から使用された可能性が高い(説明板より)。


 





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