国指定史跡 脇本城跡 指定/平成16年9月30日 
〜海を見下ろす土づくりの城〜

城の中心地区「内館(うちだて)」主郭部をのぞむ


■所在地・アクセス
 秋田県男鹿市脇本 

訪城(2021年4月)は、脇本駅からタクシーを利用。電話して迎車しました(タクシーは常駐してないと思います。片道約1.000円)。帰りは徒歩にて脇本駅まで戻りました。


■航空写真(中腹駐車場の脇本城跡案内所にて撮影)
 内館地区は、脇本城の代表的な曲輪の一つ。

 近世には太平城跡・生鼻(おいばな)城跡の通称でも伝えられたが、文化7年(1810)大地震のさい生鼻岬700メートル余が海中に没した。

■脇本城について
 史跡脇本城は、日本海を見下ろすようにそびえる標高100m程の広大な山城です。

 室町〜戦国時代に秋田県中央〜北部を支配した安東氏の城である。檜山城(能代市)、湊城(秋田市土崎)の間に位置する脇本城は、天正5年(1577)に安東愛季(あんどうちかすえ)が大規模に改修したと考えられ、曲輪や土塁、井戸跡等、戦国時代に整備された山城の遺構が観察できます。

 発掘調査では、当時の掘立柱建物跡、塀・柵跡等の遺構や、陶磁器、木製品、金属製品等の武具や生活用品等、貴重な遺物も多数出土しています。

 南側の内館地区からは、西の真山・本山、東の八郎潟(現大潟村)や森吉山、南には日本海が開け、山形県との県境、鳥海山まで見渡すことができ、海沿いを拠点として勢力をのばした安東氏がこの地を選んだことを実感する眺めを楽しむことができます(文と案内図は現地説明板より)。











■脇本城跡の特徴について
 @戦国時代末期の大規模な山城であり、東北最大級の規模です。城跡は、海抜100m程の丘陵地を利用して築城されており、その規模は東西約1.8q、南北約2.0q。全体の面積が約150ヘクタールです。

 Aいろいろな遺構を数多く残しており、築城技術の博物館です。城には自然地形を利用した堀切や空堀・土塁・曲輪・段築・虎口などいろいろな遺構が残ります。

 B城域には複数の中心部分が存在しています。内館(うちだて)、馬乗り場[古館](城中央部)、兜ヶ崎(かぶとがさき。東部)、打ヶ崎(うちがさき。北東部)、乍木(ながらぎ。北部)、お念堂(西部)など、複数の曲輪群があります。その中で馬乗り場[古館]と内館が核となっていたとされています。

 C城内を主要道路の「天下道」が通っています。船越方面から脇本集落をとおり、城内を通過し、船川・北浦方面に通じる主要道路の「天下道」が通っています。

 D城の北側には「田谷沢道(たやざわどう)」が通っています。「田谷沢道」は、切通しとなっていて、要所で折れたり、行き止まり状の遺構が設けられています。

 E脇本本郷集落は城下町です。城の東に位置する脇本本郷集落は、中性の城下町の景観を残しています。
(現地説明板より)


■脇本城縄張図


(内館・生鼻崎地区の遺構説明板に一部追記し掲載)


説明板(現在地)の場所は、上に掲載の「脇本城縄張図」の説明板(現在地)のところ。天下道左側は、
大土塁の築かれている内館北側部分、説明板の立つ右側エリアは、館跡群跡の内館南側部分です。



内館北側部分。写真右側に空堀跡、その上は虎口跡、さらにその後方は、井戸跡が2ヶ所存在する曲輪跡。



内館南側部分。説明板のところは、「脇本城縄張図」の説明板(現在地)になります。



◆内館・生鼻崎地区を巡る◆


(現地説明板より。見学したのは、この地域だけです)


(上)中腹駐車場の案内所と天下道説明板
 ここまで登ってきた道は、通称「天下道」と呼ばれるこ古道です。中世に整備されたと想定されます。
 ここから先の道路は後に整備されたもので、かつての天下道はここから山側に続き、城の主要な地区、内館を横切ります。空堀の底のように両側が高い堀底道だったようです。
 この先は内館です。平らに整地された建物などがあった曲輪、土手状の防御施設である土塁、井戸跡などを観察することができます。

(右)脇本城跡・天下道説明板より掲載(赤い線が天下道)
 中性の主要な交通手段は徒歩・馬・船でした。脇本城はこの3つをすべておさえるため、周辺の港・道を支配していたと考えられます。
 秋田方面から船川・北浦方面へ向かう主要な道として長い間利用されていました。江戸時代には、秋田藩主が男鹿往来のために整備し、通称「天下道」と呼ばれてきました。

主郭部下の天下道周辺の様子

主郭部下の天下道

脇本城の主要地区(主郭部)

 ここは内館と呼ばれており、館跡内には大土塁・井戸跡・神堂跡などがある。説明板のあるところが右下「復元想像図」現在地にあたる。「大土塁」手前の曲輪跡は、下の左写真となります。

▼右の「復元想像図」現在地から見た曲輪跡(主殿・会所)と大土塁


▼「大土塁」上から見た「城主の館」跡(東端の曲輪)

土塁下の水の溜まったくぼみは井戸跡。
 「城主の館」跡は、東端の曲輪で、下に説明板を掲載します。

▼復元想像図(説明板より)
 土塁を挟んで広がる曲輪は、城主が住む館と、儀式を行う場所(主殿・会所)があったところと想定されています。上の図はイメージをつかむために京の武家屋敷を模して描いた復元想像図です。
 曲輪の間には高さ6m、脇本城最大の土塁があります。切り出して造られた土塁は、主郭を囲む区画として威厳を感じさせるものです。海に近く風の強い脇本城では風よけの役割もあったようです。両側に広がる曲輪は土塁を削った土を利用して盛土をし、広く整地されています。
■「東端の曲輪」説明板
 脇本城最大の土塁に囲まれた曲輪です。ここには城主の館があったと想定されています。
南・北・西の3方が地形を生かした土塁に囲まれています。東側は低い土手状の高まりが残っていて、その
まんなか部分が途切れています。このことから、途切れた部分に門、その両側に塀があったと推定されます。
 ここは、城下町を見下ろす絶好の場所となっています。

東端の曲輪と大土塁。説明板の場所は、上の「東端の曲輪」説明板の現在地になります。


大土塁に囲まれた東端の曲輪(土塁左側部分)


城下町を望む
 内館地区東端のこの場所は日本海、秋田市と太平山、大潟村を見渡すことができ、眼下にはかつての城下町であった脇本本郷の集落が広がっています。


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