【大阪城の堀と石垣】

高い技術で積まれた“石垣”と広くて深い“水堀” 

最盛期の徳川期大坂城を描いた屏風絵(武内勇吉作、大阪城天守閣蔵)
写真左手前が大手門側。絵は城内説明板より。



【東外堀】
 大坂城二の丸の東に位置する水堀で、北が青屋口、南が玉造口である。元和6年(1620)、徳側幕府による大坂城再築第1期工事により、豊臣時代大坂城の堀跡に改めて石垣が築造された。本来は青屋口より先の北外堀とつながっていて、総延長はあわせて約3キロメートル、堀の幅は最大約90メートルである。大正年間、大阪砲兵工廠の敷地拡張にともない北外堀を残して埋め立てられた。平成9年(1997)、東外堀とつながらないままであるが、現在の姿に復元された。 
 
写真右方向は青屋口、左方向は玉造口方向


天守と青屋門(右側の建物)

北外堀



【南外堀】 
 大阪城二の丸の南に位置する堀で、西が大手口、東が玉造口である。石垣の総延長は約2キロメートル、堀の最大幅は約75メートルあり、寛永5年(1628)、徳川幕府による大坂城再築第3期工事により、豊臣時代大坂城の堀跡に改めて石垣が築造された。内側の石垣上には東から一番櫓から七番櫓まで七棟の隅櫓が建造された。櫓は明治維新の大火により四番・五番・七番を失い、さらに第二次大戦の空襲により二番・三番を失って、現在は一番櫓と六番櫓だけが残る。

南外堀の東から西(大手門方向)の眺め
 手前の石垣から奥へむかって、二番・三番・四番・五番・六番(現存)・七番の各櫓が建っていた。写真には写っていませんが、手前石垣の右側に一番櫓、石垣後方に六番櫓が現存する。

六番櫓と南外堀
 西から東への眺め。大手門は左方向に位置する。



【西外堀】 
 大阪城二の丸の西に位置する水堀で、南が大手口、北東が京橋口である。石垣の総延長は約1.5キロメートル、堀の最大幅は約75メートルあり、元和6年(1620)、徳川幕府による大坂城再築第1期工事により、豊臣時代大坂城の堀跡に改めて石垣が築造された。内側の石垣上には南から千貫櫓(現存)・坤櫓(焼失)・乾櫓(現存)が建てられた。 
 
乾櫓と西外堀。背後は大阪ビジネスパークのビル群



【内堀】 
 本丸を取り囲む堀で、南側を空堀とするほかは水堀となっている。寛永元年(1624)開始の徳川幕府による大坂城再築第2期工事により、豊臣時代の本丸に盛り土をほどこして石垣が築造された。総延長は約2.7キロメートル、東側石垣の高さは水面から約24メートルに達する。本丸内には堀に面する石垣の角を中心に3層の櫓が11棟、2層の櫓が2棟そびえていたが、明治維新の大火により全て焼失した。
 
内堀東側の高石垣


内堀西北側と天守

西の丸庭園から望む天守
 本丸西面の石垣と、堀は水堀と空堀の境となる場所。



【空堀】 
 本丸を囲む内堀は、東から北、さらに西にかけて水堀となっているのに対し、南とそれに続く西にかけては水のない空堀になっている。

本丸南側の空堀
 空堀奥には桜門が位置する。ここは寛永元年(1624)、徳川幕府による大坂城再築工事の際に築かれたもので、当初から空堀であった。これに先立つ豊臣秀吉築造の大坂城でも本丸の南は空堀となっており、大坂の陣で徳川方が埋めたわけではない。なぜここだけ空堀としたのかは不明である。



本丸南側の空堀
 門は重要文化財の桜門。



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