大阪城の巨石

<大手門・桜門・京橋門跡に現存(地図の赤枠部分)>

(城内説明板に追記)

<巨石の位置>

1=大手二番石 2=大手見付石 3大手三番石 4
虎石 5=竜石 6=桜門四番石
7=振袖石 8=碁盤石 9=蛸石 10=肥後石 11=京橋口二番石 
(現地説明板に追記)


【蛸石】

桜門枡形の蛸石(たこいし)とよばれる城内第1位の巨石。後方は天守閣


大手口枡形の巨石
多聞櫓(続櫓)石垣に築かれた、左より大手二番石・大手見付石・大手三番石
 枡形とは城の主要な出入口に設けられた四角い区画のことで、敵の進入を食い止める役割を果たした。築城技術の進歩にともなって強固な石垣造りのものがあらわれ、大阪城の大手口枡形では城の威容を誇示する巨石が数多く使用されている。左端の建物は多聞櫓の渡櫓(重要文化財)。



大手門(重要文化財)
 大手門をくぐると正面に大手二番石、大手見付石、大手三番石の巨石が位置する。


大手見付石(おおてみつけいし)
 大手門をくぐって正面に位置する大手見付石は、表面積が約29畳敷(47.98平方メートル)で城内第4位。


大手二番石
 約23畳敷(37.90平方メートル)で第5位。

大手三番石
 約22畳敷(35.82平方メートル)で第8位。いずれも採石地は瀬戸内海の小豆島と推定されている。現存する大阪城の遺構は豊臣時代のものではなく、元和6年(1620)から約10年にわたった徳川幕府再築工事によるもので、石垣は将軍の命令を受けた諸大名が分担して築いた。


  桜門枡形の巨石
 桜門の内側には、本丸の正面入口を守るため、石垣で四角く囲まれた「枡形」とよばれる区画が設けられ、上部に多聞櫓が建てられた。この枡形は、徳川幕府による大坂城再築工事の第2期工事が始まった寛永元年(1624)、備前岡山藩主池田忠雄の担当によって築かれ、石材は備前(岡山県)産の花崗岩が用いられている。
 
本丸の正門<桜門>
桜門の両側に見える巨石は龍虎石(りゅうこいし)と呼ばれ、江戸時代には、雨が降ると右に龍の姿が、左に虎の姿がそれぞれ現れるといわれた。




虎石(とらいし)
 桜門奥に少しだけ蛸石と天守閣が見える。

竜石(たついし)

 
桜門を入って左側に桜門四番石、振袖石、正面左に碁盤石、その右に写真には写っていませんが蛸石が位置する。


桜門四番石
 桜門を入ってすぐ左、銀明水井戸の右隣にあり、写真中央の石。城内第9位。右側の巨石は振袖石。


振袖石(ふりそでいし)
 袖石とよばれ、表面積はおよそ33畳敷(53.85平方メートル)で、城内第3位である。なお、上部の多聞櫓は慶応4年(=明治元年、1868)、明治維新の大火で焼失した。

 

碁盤石(ごばんいし)
 木の影で見にくいですが、桜門を入って正面の蛸石の左端に位置する。城内第6位。



蛸石
 城内第1位の巨石で、表面積がおよそ36畳敷(59.43平方メートル)、重量は約108トンと推定される。

京橋口枡形の巨石

枡形(城内側)の肥後石と京橋口二番石


京橋門跡(城外側)
 大阪城の西北の出入口。北方の寝屋川(旧大和川)に京都へ通じる「京橋」が架けられていることから、「京橋口」もしくは「京口」と呼ばれた。戦前までは江戸時代以来の京橋門が残り、枡形には大手口と同様に多聞櫓もあって、大阪城の名所となっていたが、昭和20年(1945)の空襲によって全焼した。右後方は天守閣。


京橋門跡(城内側)
 石垣の間を通り過ぎたすぐ右手に巨石が位置する。

 
肥後石
京橋口枡形の内、京橋門跡を入って正面に見える。表面積が畳約33畳敷(54.17平方メートル)にもなる城内第2位の巨石。


京橋口二番石
 京橋門跡を入って左側に位置する。表面積が畳22畳敷(36.00平方メートル)の、城内第7位の巨石。


  
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